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レネ・スタブス

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レネ・スタブス
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レネ・スタブスRennae Stubbs, 1971年3月26日 - )は、オーストラリアシドニー出身の女子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られ、長年アメリカリサ・レイモンドとペアを組んで多くのタイトルを獲得してきた。WTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで60勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス64位、ダブルス1位。身長178cm、体重65kg、右利き。4大大会では女子ダブルス4勝、混合ダブルス2勝を挙げた。

概要 レネ・スタブスRennae Stubbs, 基本情報 ...
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来歴

要約
視点

レネ・スタブスは1992年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップオーストラリア代表選手となり、2011年まで代表選手として活躍を続けた。通算のフェド杯戦績でも、彼女はほとんどすべてダブルス戦の出場であり、シングルスはわずか3試合の出場しかない(3戦全敗)。オリンピックの代表選手としても、1996年アトランタ五輪2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪2008年北京五輪の4大会に出場した。アテネ五輪の女子ダブルスではアリシア・モリクとペアを組み、準々決勝で中国ペアの李婷&孫甜甜組に 3-6, 2-6 で敗れた。

フェド杯代表選手に選ばれた1992年から、スタブスはWTAツアーでもダブルスのスペシャリストとして成績を伸ばしてきた。彼女のダブルス初優勝は1992年2月、日本大阪の大会でヘレナ・スコバとペアを組んだ勝利から始まる。この大阪大会では、1回戦で神尾米のペアに勝ち、準決勝では伊達公子のペアを破って勝ち進んだ。同年5月のドイツハンブルク大会ではシュテフィ・グラフとのペアで勝ち、この後も2勝を挙げて、1992年度は女子ダブルスで年間4勝を記録した。

1996年から、スタブスはほとんどの大会でリサ・レイモンドと組むようになる。2000年全豪オープンで、スタブスはレイモンドとの女子ダブルスと、ジャレッド・パーマーと組んだ混合ダブルスの2部門で優勝し、両部門で4大大会初優勝を飾った。女子ダブルス決勝では、スタブスとレイモンドはマルチナ・ヒンギスマリー・ピエルスの組を 6-4, 5-7, 6-4 で破り、ヒンギスの全豪ダブルス4連覇を阻止している。2001年、スタブスとレイモンドの組はウィンブルドン全米オープンで4大大会女子ダブルス2連勝を達成した。ウィンブルドン決勝では杉山愛キム・クライシュテルスの組を 6-4, 6-3 で破り、全米オープンでスタブスは2度目の女子ダブルス・混合ダブルス2部門制覇を果たしている。

スタブスとレイモンドは、ダブルスでパートナーを組んでいた間、私生活でもレズビアン関係にあった(後にスタブスが明らかにした)[1]2004年ウィンブルドン女子ダブルスでは、ジンバブエカーラ・ブラックとペアを組んで3年ぶり2度目の優勝を果たし、杉山愛リーゼル・フーバーの組を 6-3, 7-6 で破った。2006年度は年頭にアメリカコリーナ・モラリューと組んだ優勝が1つあるが、シーズン途中からカーラ・ブラックと組むことが多くなった。2007年2008年クベタ・ペシュケと組み、2009年以後は同じオーストラリアのサマンサ・ストーサーと組んで大半の試合に出場している。

スタブスはシングルスはあまり得意ではなく、4大大会の女子シングルスでも2回戦止まりの成績であった。そのため、2001年以後はWTAツアー大会でもダブルスのみに出場した。

レネ・スタブスはダブルス初優勝を飾った1992年大阪大会の後も、日本のトーナメントに数多く出場してきた。最近では2001年から2004年にかけて、東京体育館の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」でダブルス4連覇を達成している。2001年2002年はレイモンドとのペアであったが、2003年ロシアエレーナ・ボビナ2004年ジンバブエカーラ・ブラックと組んで優勝した。

スタブスは2011年に現役を引退した。

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WTAツアー決勝進出結果

ダブルス: 103回 (60勝43敗)

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4大大会ダブルス優勝

脚注

外部リンク

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