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三宅宗源

台湾出身で日本国籍のプロ野球選手 (1958-) ウィキペディアから

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三宅 宗源(みやけ そうげん、1958年12月1日 - )は、台湾中華民国嘉義市出身の元プロ野球選手。左投げ左打ち。帰化以前の名は「李 宗源」。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴・人物

ロッテオリオンズのスカウトだった三宅宅三によって、台湾球界きっての左の速球投手として見出され、1980年にロッテの練習生となった。

当時のチームではレロン・リーレオン・リー(リー兄弟)が実力をいかんなく発揮していたので、外国人枠の関係で1981年7月7日に三宅と養子縁組をする形で日本に帰化し、正式にオリオンズの選手となった。

スリークォーターの柔らかいフォームから投げ込むストレートが武器で、変化球としては、横に流れるカーブシュートを持っていた。しかし、球威と反比例してコントロールはあまりよくなく、このこともあって目立った成績を残すことはできなかった。

1984年山本功児とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。しかし、こちらでは公式戦登板の機会がないまま1985年オフに引退した。

引退後は肝油ドロップで知られる河合製薬の営業職となり、台湾においてドロップの販売拡大に貢献している[1]

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

  • 初登板:1981年7月16日、対西武ライオンズ後期2回戦(平和台球場)、6回表から2番手で救援登板、2回3失点
  • 初先発登板:1981年8月16日、対阪急ブレーブス後期8回戦(札幌市円山球場)、4回2/3を4失点(自責点3)で敗戦投手
  • 初セーブ:1981年8月25日、対南海ホークス後期8回戦(大阪球場)、10回裏無死から3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初勝利:1981年9月26日、対日本ハムファイターズ後期13回戦(川崎球場)、8回表1死から2番手で救援登板・完了、1回2/3無失点
  • 初先発勝利:1982年4月18日、対阪急ブレーブス前期3回戦(川崎球場)、7回2失点
  • 初完投:1982年4月25日、対近鉄バファローズ前期6回戦(宮城球場)、9回2失点で敗戦投手
  • 初完投勝利:1982年8月14日、対南海ホークス後期7回戦(大阪球場)、9回2失点

背番号

  • 27 (1980年 - 1983年)
  • 10 (1984年 - 1985年)
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脚注

関連項目

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