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三池藩

日本の江戸時代に、筑後国に所在した藩 ウィキペディアから

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三池藩(みいけはん)は、筑後国三池郡を領した。藩庁として三池(現在の福岡県大牟田市)に三池陣屋を構えた。藩主家は立花家であり、柳河藩の立花家とは一族であるが、互いに独立した藩であり、同藩は柳河藩の支藩ではない。

略史

立花宗茂の弟・高橋直次慶長19年(1614年)、常陸国筑波郡に5千石を与えられ、旗本となった。その長男・立花種次は元和7年(1621年)、旧領地であった筑後国三池郡に5000石加増の1万石を得て三池に移り、三池藩が立藩した。

第4代藩主・立花貫長の時代である元文3年(1738年)に石炭の採掘が始まり、平成9年(1997年)まで存続した三池炭鉱の礎となった。

第6代藩主・立花種周幕閣に入り、寛政期に大番頭奏者番寺社奉行を経て若年寄まで栄達した。蝦夷地総監として近藤重蔵を千島に派遣するなど、北方外交も担当した。

だが反松平定信派の一橋派に属し政争に敗北し、文化2年(1805年)11月に幕府の機密漏洩の罪により罷免され、12月には強制隠居を科され蟄居となった。そのため、種周の跡を継いだ第7代藩主・立花種善は文化3年(1806年)、陸奥国伊達郡下手渡藩(現・福島県伊達市月舘町近辺)に左遷され、約60年間は三池藩は幕府領となった。

その間、種善から種温を経て種恭の代の慶応4年(1868年)9月、再び三池に藩庁を移し、再度三池藩を復した。

明治2年(1869年)版籍奉還と同時に立花家は華族に列した。同4年(1871年)の廃藩置県で三池県となったのち、三潴県を経て福岡県に編入された。

明治17年(1884年)の華族令で立花家には子爵が叙爵された。

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歴代藩主

立花家

外様 1万石 (1621年 - 1806年、1868年 - 1871年)

さらに見る 代, 氏名 ...
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関連項目

幕末の領地

参考文献

外部リンク

先代
筑後国
行政区の変遷
1868年 - 1871年 (三池藩→三池県)
次代
三潴県
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