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中院通方

鎌倉時代前期の公卿、故実家、歌人。源通親の五男。中院家の祖。勅撰集『新勅撰和歌集』以下に10首入集。子孫は中院家、北畠家。大納言。 ウィキペディアから

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中院 通方(なかのいん みちかた)は、鎌倉時代前期の公卿、故実家で歌人。正二位源通親の五男。中院家の祖とされている。土御門通方とも。

概要 凡例中院 通方, 時代 ...

生涯

文治5年(1189年)、源通親の五男として誕生。母は藤原範子

6歳で従五位下を授けられ、翌年には父の知行国であった因幡国が与えられる。建暦元年(1211年)に蔵人頭となって翌年に公卿に列した。以後、参議検非違使別当権中納言を歴任するが、承久の乱恐懼処分を受けて謹慎した。乱後は同母姉・承明門院とその孫・邦仁王(土御門天皇の子、後の後嵯峨天皇)を後見した。

安貞元年(1227年)に中納言、2年後に権大納言となる。その間に宮廷行事における服装などの有職故実についてまとめた『飾抄』を著した。歌人としては『新勅撰和歌集』他に10首収められている。

暦仁元年(1238年)、大納言に昇ったものの、間もなく病で倒れ、その年の暮れに薨去。享年50。

系譜

関連項目

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