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主体年号

金日成の偶像化のために1997年から2024年まで使われていた北朝鮮独自の年号 ウィキペディアから

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主体年号(しゅたいねんごう、チュチェねんごう、: 주체년호)とは、1997年から2024年まで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で使用されていた紀年法で、金日成が生まれた1912年元年とする。暦法はグレゴリオ暦を採用している。西暦から1911を減じた値となる。

概要 主体年号, 各種表記 ...

2024年10月中旬から使用を中止していると報じられた[1]。なお西暦2024年は、主体113年であった。

実施

起源

1988年に、北朝鮮で主体年号が初めて提案された。これは北朝鮮の天道教青友党党首で、朝鮮天道教中央指導委員長や朝鮮宗教家協議会会長、祖国平和統一委員会副委員長を務めた崔徳新が、自身の著書『金日成、彼は天主様』の中で、初めて主体年号の使用を提案したことに由来する[2]

使用

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北朝鮮で発行された2010年(主体99年)9月のカレンダー。9の数字の下に「主体99(2010)」と主体暦と西暦が併記されている。

金日成の生誕年である1912年を元年[3]とする。他の紀年法と同様に元年を1年として計算するため、金日成の生誕周年と暦の年数の間には1年の差があり、金日成生誕100周年に当たる2012年は「主体101年」となる。無期限の紀年法であり、暦法はグレゴリオ暦であるため、年数以外の月日については西暦と共通する。

北朝鮮では成立から一貫して西暦を公用年号として用いていたが、金日成3年忌の翌日に1997年7月9日午後7時の「重大放送」に新たな紀年法として主体年号が公表された[4][5]。そのため、「主体元年」から「主体86年7月8日」まで公的には使われていない。建国記念日の1997年9月9日から使用開始された[6]

北朝鮮の公式的な行事、マスメディアやカレンダーといった公的な場で使用された。主体年号が使われる場合でも西暦と併用であったりする。朝鮮中央テレビ朝鮮の声放送日本語放送では(漢字で書ける語の場合、どのように読むかは政治が絡む事情である[7])「チュチェ○、(西暦)△年」と読んでいる。

使用中止

2024年10月12日付の朝鮮労働党機関紙の労働新聞の日付欄では「主体113(2024)年」と記されていたが、翌13日付からは西暦表記のみとなった[1]。また、10月11日夜の北朝鮮外務省の重大声明では主体年号が併記されていたが、10月12日に公表された金正恩の妹で朝鮮労働党副部長・金与正による談話では西暦表記のみとなった[1]。そのため、(北朝鮮の政府は明言していないが)2024年10月12日から主体年号の使用を中止したとみられる、と報じられた[1]

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西暦・和暦との対照表

※主体元年(1912年) - 主体85年(1996年)までは公的に用いられていないため、省略している。

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他の紀年法との一致

主体年号は、日本大正、および中華民国(台湾)民国紀元と元年が一致するので、「主体N年」は「大正N年」と「民国N年」に相当する。ただし、大正は皇紀のような紀元ではなく元号であって、1912年7月30日から1926年12月25日までの期間なので、完全には一致しない。もっとも、大正元年である大正天皇践祚年(即位は大正4年)と、主体元年である金日成の誕生年と、中華民国の成立年が偶然にも同年であるというだけで、これら3つに関連性は全くない。

脚注

関連項目

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