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二宮忠士

日本のプロ野球選手 (1945-) ウィキペディアから

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二宮 忠士(にのみや ただし、1945年6月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴・人物

八幡浜高校では、1963年春季四国地区高等学校野球大会に初優勝するものの、甲子園には届かなかった。卒業後は東芝へ入社。1966年都市対抗野球では中心打者として、チームの準々決勝進出に貢献する。

1967年ドラフト2位で東映フライヤーズに入団。100メートル11秒台の俊足、鉄砲肩、ノンプロ通算20本塁打という実績を認められてのプロ入りだった。1968年にはジュニアオールスターに選出され、翌年は16試合に出場するが、打撃面で伸び悩む。病気を患い4年目の1971年限りで引退。

引退後の1979年7月には山田潔団長の下、大友工大橋勲と共に「日本プロ野球コーチ団」団員として中国で野球指導を行う[1]

1984年5月には山田と共に甘粛省蘭州市に招待され、現地の野球・ソフトボールチームを指導[1]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 8 (1968年)
  • 13 (1969年 - 1971年)

脚注

関連項目

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