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京都市立大将軍小学校
京都府京都市にある小学校 ウィキペディアから
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京都市立大将軍小学校(きょうとしりつ たいしょうぐんしょうがっこう)は、京都府京都市北区にある公立小学校。
概要
仁和小学校や北野中学校など12の小中学校と共に小中一貫教育を実施している[1]。
児童数は157人、教員数は20人(いずれも2024年度時点)[2][3]。かつて多いときは900人近くを有していたが、少子化により100人台まで減少した[4][2]。
沿革
要約
視点
当校の起源は、平野宮本町の京都市衣笠尋常高等小学校(現在の衣笠小学校)における急激な児童数増加を受け、1930年(昭和5年)10月に新設校(分離校)の設置願が認可されたことにはじまる[6][7]。校名は「第二衣笠尋常小学校[注 1]」で、校地は大将軍一条町15番地と定められた[6]。翌1931年(昭和6年)9月1日、衣笠小学校の校舎を間借りする形で開校した[6]。通学区域は衣笠小校区から京福電気鉄道北野線以南が移管され、295人が当校の在籍となった[6]。同年10月19日には校舎が完成し、10月23日に衣笠小学校から独立[9][7]。独立に際し、11月11日に開校式を挙げた[6]。
その後1935年(昭和10年)にかけて校舎の新築工事が行われ、1938年(昭和13年)には校地を650平方メートル拡張するなど、学校施設の拡大が図られた[9]。1941年(昭和16年)、国民学校令の施行により校名を「京都市大将軍国民学校」と改称した[6]。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)には2度の学童疎開を行い、京都府北部の与謝郡本庄村と北桑田郡神吉村に疎開した[9]。終戦後の1947年(昭和22年)、学制改革を受け、校名を現在の「京都市立大将軍小学校」と改称した[6]。
1978年(昭和53年)と翌1979年には校舎の改築が行われ、従来の木造から鉄筋コンクリート造の校舎となった[9]。1980年(昭和55年)2月には、校舎改築竣工式を挙げた[9]。
年表
- 1930年(昭和5年)10月6日 - 第二衣笠尋常小学校として設置認可[6]。
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)1月9日 - 第2期工事が竣工[9]。
- 1935年(昭和10年)12月2日 - 第3期工事が竣工[9]。
- 1938年(昭和13年)1月 - 校地を拡張[9]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「京都市大将軍国民学校」に改称[6]。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「京都市立大将軍小学校」に改称[6]。
- 1964年(昭和39年)7月31日 - 高浜臨海学習を開始[9]。
- 1966年(昭和41年)7月30日 - プールを落成[6]。
- 1976年(昭和51年)4月 - 言語障害特殊学級(ことばときこえの教室[6])を開設[10][9]。
- 1978年(昭和53年)6月 - 校舎改築第1期工事が竣工[9]。
- 1979年(昭和54年)12月 - 校舎改築第2期工事が竣工[9]。
- 1986年度(昭和61年度) - 京都市学校保健会より健康優良校として表彰される[6]。
- 1987年(昭和62年) - フレンドリー活動研究推進校に指定される(翌年度までの2年間)[6]。
- 1990年(平成2年)
- 1992年度(平成4年度) - いきいきランドを設置[6]。
- 1995年(平成7年) - 環境教育実践推進校に指定される(1年間)[6]。
- 1997年(平成9年) - 福祉協力校に指定される(1年間)[6]。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 育成学級を開設。体育倉庫や鶏小屋などを設置[6]。
- 2004年(平成16年) - みやこ学校創生事業の研究校に指定される[6]。
- 2010年(平成22年)9月16日 - 文部省コミュニティスクール推進事業校に指定される[6]。
- 2011年(平成23年) - 歯・口の健康づくり推進事業校に指定される(翌年度までの2年間)[6]。
- 2015年(平成27年)
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通学区域
- 北野下白梅町、北野西白梅町、大将軍一条町、大将軍川端町、大将軍坂田町、大将軍西鷹司町、大将軍西町、大将軍東鷹司町、大将軍南一条町、等持院南町[11]
進学先の中学校
脚注
関連項目
外部リンク
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