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京須行男
日本の将棋棋士 ウィキペディアから
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京須 行男(きょうす ゆきお、1914年〈大正3年〉1月23日 - 1960年〈昭和35年〉5月2日)は、将棋棋士。八段(追贈)。宮松関三郎八段門下[1]。千葉県一宮町出身[1]。日本将棋連盟理事・奨励会幹事を務めた[1]。
経歴
1938年9月、宮松関三郎門下として初段で入門。
翌1939年10月、26歳で二段昇段。1941年3月、三段昇段。
戦後の1946年の順位戦C級クラスに参加し、B級へ昇級するなど活躍。
人物
- 没後の孫に、のちに十八世名人有資格者となる将棋棋士、森内俊之がいる。
- 弟子はいないが、名古屋出身の山田道美は金子金五郎門下だったが金子が名古屋在住であったため、1950年に東京に上京後、京須の道場に通って実力をあげ[5]、また亰須の紹介で同1950年に奨励会に入った[4]。
- プロ入り前の経歴として、日本紙業就職後、1937年8月に召集により戦地へ赴くも戦闘中に左胸に貫通銃創を受け帰還した[6][7]。こののち、日日新聞アマ名人戦に優勝[1]。
- 二段当時、早く昇段したいという焦る気持ちの中、敗戦を重ねて特に生活が苦しい状況にあったが、自らの生活を確立するために意を決し、敢えて結婚をしたという[6][8]。
- 三軒茶屋の将棋道場で指導にあたる[1]。京須の没後は上述の山田道美が土日に指導に入り道場再建の一助とした[9]。
昇段履歴
主な成績
順位戦クラス
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関連項目
脚注
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