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1947年度の将棋界

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1947年度の将棋界
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1947年度の将棋界(1947ねんどのしょうぎかい)では、1947年昭和22年)4月から1948年昭和23年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

1947年4月

1947年5月

  • 10日 - 将棋大成会の臨時総会が行われた。順位戦の順位と棋士の段位を併用する案が提出され、満場一致で可決された。A級は八段、B級は七段、C級上位16名は六段、C級下位16名は五段を名乗ることとなり、その結果30名が昇段した[2]
  • 13日 - 第6期名人戦七番勝負第6局が行われ、塚田正夫八段が勝利(木村義雄名人 2-3 塚田正夫八段)[3]

1947年6月

  • 6日 - 第6期名人戦七番勝負第7局が行われ、塚田正夫八段が勝利し名人を奪取。初の名人となる(木村義雄名人 2-4 塚田正夫八段)[4]

1947年8月

  • 23日 - 共同通信社協賛で「全日本アマチュア将棋選手権大会」が復活[5]。初代優勝者は坪井定一[6]

1947年12月

1948年2月

  • 4日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦2回戦[注 1]三番勝負第1局が行われ、大山康晴七段が先勝(大野源一八段 0-1 大山康晴七段)[8]
  • 7日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦2回戦三番勝負第2局が行われ、大野源一八段が勝利(大野源一八段 1-1 大山康晴七段)[8]
  • 10日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦2回戦三番勝負第3局が行われ、大山康晴七段が勝利(大野源一八段 1-2 大山康晴七段)。決勝三番勝負進出[8]
  • 26日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦決勝三番勝負第1局が行われ、大山康晴七段が先勝(升田幸三八段 0-1 大山康晴七段)[8]
  • 28日 - 花田長太郎八段が死去[7]。享年50歳。
  • 29日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦決勝三番勝負第2局が行われ、升田幸三八段が勝利(升田幸三八段 1-1 大山康晴七段)[9]

1948年3月

  • 3日 - 第7期名人戦の挑戦者決定戦決勝三番勝負第3局が行われ、大山康晴七段が勝利(升田幸三八段 1-2 大山康晴七段)。塚田正夫名人への挑戦権を獲得[9]
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記録

タイトル戦

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順位戦

第2期順位戦 (1947年 - 1948年3月)[12]

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昇段・引退

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脚注

参考文献

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