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仙波太郎

日本の陸軍軍人、政治家 (1855-1929) ウィキペディアから

仙波太郎
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仙波 太郎(せんば たろう、1855年6月5日安政2年4月21日) - 1929年2月19日昭和4年2月19日))は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍中将衆議院議員

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

伊予国久米郡福音寺村(現在の愛媛県松山市福音寺町)で仙波元太郎の長男として生まれた[1]。幼名は惣太郎。少年時代は行商をしながら南久米村の三輪田塾で学び、また福沢諭吉の著書から新知識の吸収につとめた[1]

陸軍教導団を経て、1878年12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。1885年12月、陸軍大学校(1期)を優等(三席)で卒業。

参謀本部課僚、同第3局員、参謀本部第2局員、ドイツ留学、歩兵第12連隊大隊長などを経て、日清戦争第5師団参謀として出征、平壌攻略戦などに参戦した。第5師団参謀、第2師団参謀、陸士教官、第3師団参謀長、第10師団参謀長、第8師団参謀長、歩兵第24連隊長などを歴任。1903年4月、義和団の乱後の清国駐屯軍司令官となり、同年7月、陸軍少将に進級した。

日露戦争中は、満洲軍総司令部と緊密な連絡を取り、清国内部における宣撫工作や情報収集活動(いわゆる諜報活動)に携わった。また、青木宣純大佐(北京公使館附武官)の隷下に、ロシア軍後方における破壊工作を行った特別任務班の活動にも大きな援助を与えた。しかし、駐屯軍司令官当時の仙波に関しては、現段階ではほとんど史料が無く(失われたか、未発見)詳細については不明である。

歩兵第31旅団長、歩兵第18旅団長、歩兵第2旅団長などを経て、1910年11月、陸軍中将に昇進。下関要塞司令官、第17師団長、第3師団長、第1師団長を歴任。1916年8月に待命となり、翌年4月、予備役に編入された。シベリア出兵に伴い召集を受け、1918年8月から翌年4月まで留守第12師団長を務めた。1917年4月21日、後備役に編入された[2]

退役後は妻の出身地である岐阜県稲葉郡加納町に移住して地元青年団や婦人会などの活動を支援し、1920年には第14回衆議院議員総選挙で岐阜3区から出馬して当選した。1924年1月までの任期中に軍人恩給法の改正などに尽力した[3]

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栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許
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逸話

  • 桂太郎(または林太郎中将・陸士旧6期)、宇都宮太郎と共に「陸軍の三太郎」と呼ばれた。
  • 能書家としても知られ、幼少期に三輪田米山の私塾で学んだことがある。号は鳳林。

家族

  • 父 仙波元太郎(和気郡馬木村の庄屋・田所与惣右衛門の弟で、仙波家の養子となる)[1]
  • 母 仙波久[1]
  • 養嗣子 仙波毅四郎(陸軍大佐

脚注

参考資料

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