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伊藤次郎
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伊藤 次郎(いとう じろう、1910年 - 1995年以前)は、台湾[1]出身のプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
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1910年に台湾で生まれた。台湾アミ族出身で本名は羅道厚。平安中学校に野球留学。春夏合わせて7回甲子園出場[1]。
平安中ではエースとして活躍し、1928年の第14回全国中等学校優勝野球大会では準決勝の北海中戦で甲子園至上3人目のノーヒットノーランを達成(6対0で勝利)[1]。 平安中を卒業後、法政大学野球部へ進んだ[1]。大学では1年下のエース若林忠志投手らと共に活躍しリーグ戦初優勝も経験。東京六大学リーグ通算5勝2敗。
1936年、東京セネタースの結成に参加。1939年までの通算4年間で10勝を挙げる一方で、外野手としてもプレーした[1]。
日本人女性と結婚したことで、日本国籍を取得。意気揚々と台湾に帰国するが、敗戦により再来日。母校・法政大の先輩である島秀之助らから就職支援を受けるが、長続きはしなかった[2]。その後、若くして亡くなったことが生前の島から示唆されている[2]。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 24 (1936年 - 1939年)
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関連項目
脚注
外部リンク
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