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伊藤祐介

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伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...

経歴

要約
視点

プロ入り前

小学校3年時から投手として野球を始め、仙台市立西多賀中学校時代は七ヶ浜シニアに所属した[1]

聖和学園高等学校では、1年時の秋からベンチ入りする[1]。2年時の秋からエースとなり、県大会3位で同校野球部創部4年目で東北大会初出場に貢献した[1]。3年時の夏は、宮城県大会ベスト8で仙台二高と4-4で延長15回引き分け、再試合に末に0-3で敗れる。甲子園出場経験は無し。

東北学院大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時の春から公式戦に登板し、秋に新人賞、2年春に敢闘賞[2]。3年時からエースとなる[1]。イニングを超えるほどの奪三振を量産し、3年時の春には、東北工業大学戦で7回参考ながらノーヒットノーランを達成。1年時の春はリーグ3位、1年時の秋から4年時の春まではリーグ2位で、全て東北福祉大学が優勝していたが、4年時の秋に遂に宿敵を破り全勝でリーグ優勝を達成した[3]。リーグ通算20勝9敗、防御率1.63[4]明治神宮大会の代表決定トーナメントでは多和田真三郎富士大)と投げ合ってコールド負け[2]

2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議福岡ソフトバンクホークスからドラフト2位指名を受けた[5]背番号49

ソフトバンク時代

2013年のプロ1年目は大半を三軍で過ごした[6]。9月26日に1度二軍で先発したが2試合の登板に終わった[7]

シーズンオフは台湾で行われた2013アジアウインターベースボールリーグにNPB選抜として参加し、中継ぎ投手として10試合に登板し、防御率3.38、WHIP1.31の成績だった[8]

2014年は、三軍で11試合に登板したものの[9]、左肘の故障もあり二軍公式戦での登板は無かった[10]

2015年は、2月の春季キャンプで背筋痛を発症し再びリハビリ組となり、4月11日の三軍の試合で実戦復帰したが、10月4日、戦力外通告を受けた[11]。その後同球団と育成契約をし、背番号は123になった[12]

2016年は、ウエスタン・リーグにおいて17試合に登板し、21回2/3を投げ、2勝1敗、防御率2.49の成績を残した[13]。10月31日、規約に基づき自由契約公示された[14]。12月2日、来シーズンの育成選手契約締結が発表された[15]

2017年は、ウエスタン・リーグにおいて自己最多の26試合に登板し、50回2/3を投げ、3勝4敗、防御率3.38の成績で二軍の中継ぎのローテーションの一角を担うが[16]、支配下復帰には至らなかった。10月4日のチームのポストシーズンに向けての一軍の練習においてケース打撃登板に抜擢される[17] 。10月31日、育成選手制度の規定に基づき自由契約公示されたが[18]、12月6日、来シーズンの育成選手契約締結が発表された[19]

2018年、ウエスタン・リーグにおいて25試合に登板し、46回2/3を投げ、4勝2敗、防御率3.86の成績で、支配下復帰には至らなかった[20]、 10月4日、戦力外通告を受け、現役引退の意向を表明した[21]。10月31日、自由契約公示[22]

現役引退後

2019年より福岡ソフトバンクホークスの打撃投手を務める。背番号は104[23]

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選手としての特徴・人物

柔らかいフォームから繰り出す最速148km/hのストレートと、キレ味鋭いスライダー・落差のあるカーブチェンジアップといった変化球とのコンビネーションで抑える左腕[3][5]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 49 (2013年 - 2015年)
  • 123 (2016年 - 2018年)
  • 104 (2019年 - )

登場曲

[24]

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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