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伊達村倫 (涌谷伊達家)
涌谷伊達家当主 ウィキペディアから
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伊達 村倫(だて むらとも)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家8代(亘理氏26代)当主。
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略歴
寛延2年(1749年)、仙台藩6代藩主・伊達宗村の四男として誕生。宝暦3年(1753年)11月29日、跡継ぎのなかった伊達村胤の養子となる。宝暦9年(1759年)1月7日に養父・村胤が病死したため、同年2月29日に家督を継ぎ、5月3日に仙台城に赴いて兄で7代藩主の伊達重村より偏諱を受け村倫と名を改め、安芸(通称)を称する。
宝暦13年(1763年)、坂本胤俊・山寺十左衛門らが謀反を計画するが失敗し、山寺は斬首、坂本は追放となった。明和5年(1768年)4月19日、白石城主・片倉村廉の娘・薫子を室に迎える。安永2年(1773年)、側室の子・茂登が産まれるが早世する。
安永5年(1776年)10月6日、病療養のため、涌谷領から仙台へ戻る。同年11月20日、病死した。享年28。室・薫子も安永6年(1777年)5月25日に26歳で病死した。
系譜
偏諱を受けた人物
関連項目
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