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倉橋泰顕

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倉橋泰顕(くらはし やすてる、天保6年7月29日1835年8月23日) - 明治43年(1910年8月19日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、父の倉橋泰聡とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治維新後は殿掌に任ぜられ、子爵に列する。

官歴

系譜

  • 父:倉橋泰聡
  • 妻:菊山(賀川慎吾の娘)
  • 子:倉橋季丸
  • 子:倉橋泰隆
  • 子:倉橋泰量
  • 子:岡崎泰光岡崎国良の養子)
  • 養子(実弟):倉橋泰清
  • 娘:満子(清棲家教の妻)

脚注

出典

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