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八木孝
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八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。
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来歴・人物
大分県立佐伯鶴城高等学校では、1958年に夏の甲子園県予選準々決勝に進出するも、大分上野丘高等学校に惜敗した。卒業後は、明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1961年春季リーグにて優勝を果たす。投手としてリーグ通算51試合に登板し、11勝9敗、104奪三振、防御率1.63という成績を残した。大学同期に後藤晃吾、辻佳紀、一枝修平、別部捷夫、松本雄作(4年中退、国鉄)がいる。オーバースローからシュート、カーブを武器とした。
大学卒業後、1963年に広島カープへ入団。だが、登板機会にはあまり恵まれず、3年目の1965年より外野手に転向した。しかし、打者としても大成できず、1968年に再び投手へ転向し、1969年限りで引退した。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
- 27(1963年 - 1968年)
- 13(1969年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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