トップQs
タイムライン
チャット
視点
函館港まつり
北海道函館市で幕末の開港を記念して毎年8月に行われる夏祭り ウィキペディアから
Remove ads
函館港まつり(はこだてみなと-)とは、北海道函館市の旧市街地にて1935年(昭和10年)7月1日から3日にかけて行われた函館港開港77周年記念開港記念日制定式典兼昭和9年函館大火復興1周年祭。または翌年より引き継ぎ毎年開催されている夏祭りである[1][2]。
概要
要約
視点
1934年(昭和9年)3月21日に大火災「昭和9年函館大火」が発生、死亡者数2,054名、焼失戸数10,176戸という未曽有の大災害が発生した。復興1周年を意義あるものにするため当時の海運業組合長、谷徳太郎の提案をもとに函館市長、坂本森一が実行した。
翌1935年(昭和10年)は1859年7月1日(安政6年6月2日)の函館港開港から(数え年で)ちょうど77年目、人間でいう喜寿にあたり、7月1日を開港記念日として制定。大災害で沈んだ市民の士気を上向かせようとの意図から開催された。
復興が道半ばでの開催はどうかとの意見もあったが開催。3日間のべ30万人の動員、7万人の外来客(昭和10年函館市事務報告書)があり成功した。翌年より戦時等の影響による中断を除き毎年夏に開催されている[3]。
当初は7月1日より開催であったが、市長の宗藤大陸が経験上7月だと雨天になりやすい。気象庁に問い合わせたところ8月は雨天になりにくい。ちょうど8月1日は市政記念日で1ヶ月遅らせても問題ないのではないかとの提案した[4]。
年表
- 1934年(昭和9年)3月21日 - 昭和9年函館大火発生
- 1935年(昭和10年)
- 日時不明 - 函館港おどりが制作される
- 7月1日 - 函館港77周年記念開港記念日制定式典兼昭和9年函館大火復興1周年祭開催(港まつり第1回)
- 1936年(昭和11年)7月1日 - 第2回が開催される
- 1941年(昭和16年) - 戦時による縮小開催
- 1943年(昭和18年)- 戦時中止
- 1946年(昭和21年) - 戦後再開
- 1958年(昭和33年) - この年限りで「函館港百年祭」と称して特別行事を行う
- 1960年(昭和35年) - 一万人踊りパレード(現・ワッショイはこだて)開始
- 1972年(昭和47年) - 一万人踊りパレード(現・ワッショイはこだて)が夜開催に移行する
- 1981年(昭和56年) - いか踊りが制作される
- 1982年(昭和57年) - いいんでないかい~函館港唄~が制作される
- 1986年(昭和61年) - いか踊りがレコード音源化
- 1989年(平成元年)- 一万人踊りパレード(現・ワッショイはこだて)が2日間開催に拡大する
- 1990年(平成2年)- 一万人踊りパレード(現・ワッショイはこだて)が十字街コースと五稜郭コースに分かれて開催される
- 1993年(平成5年)- 北海道南西沖地震を受けて花火大会を自粛するなど内容を変更して開催[5]
- 1996年(平成8年) - 一万人踊りパレードの名称を三万人パレードへ変更[6]
- 1999年(平成11年) - 三万人パレードの名称をワッショイはこだてに変更[7]
- 2021年(令和2年) - 新型コロナウイルス感染症による中止
- 2022年(令和4年) - 新型コロナウイルス感染症縮小開催
- 2023年(令和5年) - 完全再開
主催変遷
当初は函館商工会議所が主催であったが、1959年(昭和34年)に市に移管したものの翌1960年(昭和35年)に市の要請で再び商工会議所の主催に戻った。しかし一部の市民が商業まつりとの印象が拭えないとの意見が出され、市民を代表する組織、市主催が妥当であるとの商工会議所の意見により1966年(昭和41年)に市主催に戻る。1994年(平成6年)に函館観光協会(現・函館国際観光コンベンション協会)に移管された[8]。
Remove ads
催し物
- 函館港まつり協賛・道新花火大会
- 北海道新聞社函館支社主催の協賛花火大会。函館港緑の島から打ち上げられる。
- ビューポイントはイカモニュメント[9]、函館湾岸大橋[10]など。
- 打ち上げ数は
- 町内会北海盆踊り風踊り行事
- 第1回より一部町内会では北海盆踊り風の踊り行事が開催されている[12]。
- ワッショイはこだて(一万人<踊り>パレード→三万人パレード)
- 1960年(昭和35年)函館商工会議所の発案[13]。
- 街のメインストリートを規制し、市民が踊って練り歩く。当初は日中の開催であったが1972年(昭和47年)より夜間開催に移行、1981年(昭和56年)に「いか踊り」、1982年(昭和57年)に「いいんでないかい~函館港唄~」が加わった[14][15]。1989年(平成元年)に2日間になり、翌年より五稜郭コースが新設された[15]。
- 2023年(令和5年)現在、十字街コースは十字街 - 函館市役所前 - 函館駅前 - 大門 - 松風町。五稜郭コースは千代台 - 函館中央病院前 - 本町交差点 - 北海道新聞社函館支社前が設定されている[16]。
- 各コース3部制で1部は函館港おどり、2部はサマーカーニバル・子供いか踊り、第3部は函館いか踊り[17]。第1部は函館港おどり限定、第2部は山車や神輿の運行や独自の振付けの踊り等の創作などが可能で、さらに子供によるいか踊りが加わり、第3部はいか踊り限定で[16]最終枠に自由参加枠が設けられている[18]。
- 第1回のコースは、末広町の二十間坂下をスタートし、大門広小路(現・はこだてグリーンプラザ<通称・大門グリーンプラザ>)間だった[13]。
- 踊りの振り付けをパレード用に変更している[13]。
- 函館駅前屋台
- 函館市道を利用しおよそ80店舗の屋台が出店する[19]。
かつてあった催し物
- 旗行列
- 第1回の1日目正午より市内小学校の児童による旗行列を行った(市内複数会場)[20]
- 第3回も実施[21]
- 大門歩行者天国[22]
- 国道278号函館駅前交差点 - 松風町交差点間を歩行者天国にして開放
- 1974年(昭和49年)から開始されたが1977年(昭和52年)は実施できず[15]。2023年(令和5年)に廃止された[22]
- 最終日の自由参加港踊り・いか踊り[22]
- 2023年(令和5年)廃止[22]
- 函館ペリーボート競漕(協賛イベント)[23]
- 若松ふ頭で行われる8人乗りの手漕ぎボートによる競漕で、1854年にペリー艦隊が箱館に入港した際に、箱館奉行が8人乗りの小舟で艦隊に向かった史実にちなんだボートレースである[24]。函館開港150周年記念事業の協賛として2009年(平成21年)に始まり、例年7月に開催されていた[25][26]。資金難などにより2023年(令和5年)廃止[23]。
Remove ads
楽曲
港おどりで使用される楽曲は、おもに以下の通り。
→詳細は「いか踊り」を参照
- いいんでないかい~函館港唄~
- 巴音頭
- 函館五稜郭音頭
- すずらん音頭
- 函館音頭
- 歌・北島三郎
函館港祭り曲集
2005年に製作されたCD。上記7曲を収録。
地元の中古レコード店の自主製作で、市内すべての町会に寄贈されている[28]。なお非売品で一般には販売されていないが、一部図書館にも所蔵されており、借りることは可能。
開港記念日
函館港の開港記念日として定めた7月1日は第1回開催の1935年度(昭和10年度)より市役所、公立学校、社会教育施設を休日としていたが、1986年度(昭和61年度)に廃止した[29]。
特別開催
1958年(昭和33年)は函館港の開港100年にあたり、開催期間を7月15日から8月15日に拡大、名称も「函館開港百年祭」と称して特別な行事が行われた。開催期間拡大は、同年7月7日から8月30日開催の北海道大博覧会を参考にしたという[30]。
派生文化
- 函館巴太鼓 - 1969年(昭和44年)7月31日(前夜祭)に披露された創作太鼓芸能。函館港まつりの新しい名物にしようと創作された[31]
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads