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北条氏宗
日本の江戸時代前期~中期の大名。河内狭山藩2代藩主北条氏信の子で、狭山藩3代藩主 ウィキペディアから
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北条 氏宗(ほうじょう うじむね)は、河内狭山藩の第3代藩主。
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経歴
江戸生まれであり、寛永2年(1625年)11月、父・氏信の死去により家督を継ぐ。同月、3代将軍・徳川家光に御目見する。寛永13年(1636年)5月12日、初めてお国入りの許可を得る。同年、江戸麹町堀の普請を務めた。寛文元年(1661年)11月27日、下野足利郡内の領地3000石を収公されて、常陸国筑波郡内に替地を与えられた。
生来から病弱だったらしく、無位無官だったという。また、生まれた子はいずれも娘であったため、従弟の氏治を婿養子として迎えた。しかも病弱だったにもかかわらず大酒飲みだったため、氏宗は、飲酒により病を得て江戸城に登城が出来なかった。[1]また、酒が原因で重病に倒れ、寛文10年(1670年)10月1日に隠居して氏治に家督を譲った。貞享2年(1685年)5月18日、67歳で死去した。法号は普応院。
脚注
参考文献
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