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十六合村

日本の山形県東田川郡にあった村 ウィキペディアから

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十六合村(いざあいむら)は山形県東田川郡にあった。現在の庄内町中心部の南方、旧余目町の南端[1]、京田川右岸、羽越本線西袋駅の東方一帯にあたる。

概要 いざあいむら 十六合村, 廃止日 ...

地理

  • 河川:京田川

隣接していた自治体

藤島町立川町(1954年9月30日まで狩川町)、大和村八栄里村長沼村八栄島村東栄村

歴史

村名の由来

16村が合併して成立し、それぞれの和合を願って名付けられた[2]

年表

  • 1876年明治9年) - 中島村が京島村に、小真木村が大真木村に改称する。同年、返町村と吉田村が合併し、返吉そりよし村となる。[3]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、主殿新田とのもしんでん村、南野新田村、福島村、大真木村、桑田村、千本杉村、京島村、返吉そりよし村、前田野目村、新田目あらため村、本小野方もとおのかた村、吉方村、中野村、南興野みなみこうや村、境興野さかいこうや村、西袋村の区域をもって十六合村いざあいむらが発足[4]
  • 1894年(明治27年)10月22日 - 庄内地震により、村内6人死亡、30戸が全壊[5]
  • 1911年(明治44年)11月 - 大字桑田と狩川村大字狩川との境界を変更[6]
  • 1950年昭和25年)3月15日 - 羽越本線西袋駅開業[7]
  • 1953年(昭和28年)5月1日 - 大和村・八栄里村・狩川町との境界を変更[8]
  • 1954年(昭和29年)12月1日 - 余目町・大和村常万村栄村八栄里村と合併し、改めて余目町が発足。同日十六合村いざあいむら廃止。[9]
  • 1956年(昭和31年)1月1日 - 余目町大字桑田・千本杉が立川町へ編入[10]
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地名

小字の出典は『山形県地名録』255-256頁による。

大字大真木

前身となる大真木村は、1876年4月17日に、鶴岡近辺の同名の村との区別を理由に、小真木村から改称した[11][12]

小字:大真木・北沖・北田・中屋敷・南フケ・西フケ・畑田・古関境・南割・前割

大字返吉

前身となる返吉そりよし村は、1876年12月11日に返町村と吉田村が合併し発足した[3]

小字:返吉そりよし・イカリ・大上・大東・大西・堰中・相見・角崎・屋敷田

大字京島

前身となる京島村は、1876年に、周辺地域の同名の村との区別を理由に、中島村から改称した[3]。読み方は、『余目町史年表』には「みやこしま」、『山形県地名録』には「みやこじま」と書かれている。一方、現在の庄内町公式ホームページ「庄内町の集落名一覧」には「きょうじま」と書かれている。

小字:京島・奥西・海道端・上諸竹・下諸竹・京田・小麦畑・西割・中割・深割・前割・西浦・屋敷中

大字新田目

小字:新田目あらため・イカリ・外深・内深・東割・西割・北割・小割・裏割・前割・堰向・堰内

大字主殿新田

小字:主殿新田とのもしんでん・赤渕・北浦・前割・中割・外割

大字中野

小字:中野・大割・前割・下割・沖割・外割とわり・北割・西割・前道割

大字西袋

小字:西袋・蔵前・西廿枚・東廿枚・五拾枚・佐渡向・錆・大東・樋田・深ケ・大南・南・村立・村西・横道

大字福島

小字:福島・大寂・西田・西大坪・東大坪・中大坪・北フケ・フケ・前田・向田

大字前田野目

小字:前田野目・北浦地・三拾間・堰中・芹田・鈴木割・辰割・田割・坊主割・東割・西割・中割・下割・前割・余慶よげ・横沼

大字南興屋

小字:南興屋みなみこうや・谷地田

大字南野新田

小字:南野新田・工ミ縄たくみなわ・前割・中割・西割・外割(とわり)

大字堺興屋

小字:堺興屋さかいこうや・上額・富慶ふけ・西割・前割

大字本小野方

小字:本小野方もとおのかた・西割・南割・東割・前割・内割・沖割

大字吉方

小字:吉方・大縄・小縄・主計田かぜた・四十間・道上・堂ノ前・中割・稗田・西野・東野・南堅田・北深・南深

大字桑田

大字桑田・大字千本杉は、1954年12月1日ほかの大字と同様に余目町へ合併した後、1956年1月1日に立川町へ編入した[10]。庄内町に合併された現在も、桑田・千本杉は立川地区に分類される[13]

小字:桑田・大西・小割目・相見・高口・殿田・道下・南・六十間

大字千本杉

小字:千本杉・上川端・中川端・下川端・佐渡端・東割・中割・北割・深田割・本村割

人口

1950年国勢調査による[14]

  • 世帯数:474戸
  • 人口:3,125人
  • 人口密度:334人/km2
  • 男女比:女性100人に対し男性97.3人

行政

村長

さらに見る 代, 氏名 ...

水道事業

この項目の出典:[16]

村営で水道を設置していた。水源は湧水。給水人口は1954年時点で235人。

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産業

農業戸数は1953年時点で416戸、うち専業農家は270戸であった[17]の年間収穫高は1939年で687,810円であった[18]

施設

  • 十六合いざあい村立十六合いざあい小学校[19] - 1953年時点の学級数は11組、児童数は422人[20]
  • 十六合村いざあいむら、大和村組合立和合中学校 - 1953年4月1日に両村境に設置[21]。同年の学級数は12組、生徒数は484人[20]

交通

鉄道路線

出身著名人

脚注

参考文献

関連項目

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