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双筑波勇人
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双筑波 勇人(ふたつくば ゆうと、1974年10月7日 - )は、茨城県つくば市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は廣瀬 昌司(ひろせ まさし)。身長185cm、体重144kg。最高位は西十両13枚目(1999年1月場所)。得意技は左四つ、寄り、上手投げ、小手投げ。
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来歴
誕生時の体重は3750gもあり、幼少期から同年代の子どもよりも体が大きかった[1]。相撲好きの祖父の影響で、幼少期からテレビで相撲を観戦していた[1]。小学校5年生の頃には既に力士を志しており、当時は千代の富士の大ファンであった[1]。小学校6年生時から石下町体育協会の柔道教室に通っていたが、協会長の紹介で、中学3年時には、立浪部屋に体験入門をしたこともあった[1][2]。
当初は中学卒業後の大相撲入りを決心していたが、土浦日本大学高校柔道部監督の落合正利の熱心な勧誘により、同高校に進学することになった[2]。高校時代には、1992年の全国高等学校総合体育大会で重量級個人戦ベスト8に入るなどの実績を残した[1]。柔道の実績を買われて、複数の大学からの誘いがあったが、廣瀬は当初からの目標であった大相撲を選び、中学生時代からの縁であった立浪部屋への入門を決めた[1]。
高校卒業と同時の1993年3月場所に初土俵を踏んだ。入門から2年半で幕下に昇進。足腰の強さを活かした投げ技が得意で、左四つになると特に力を発揮した。1996年7月場所は幕下で6戦全勝とするが、もう1人の6戦全勝が同部屋の大日ノ出だった為、13日目、7番相撲で星違いの金作と対戦が組まれたが敗れ、大日ノ出も星違いの後藤に敗れた為、全勝力士が消えて1敗力士9人による優勝決定戦とされてしまった(優勝は金作)。幕下中位でやや苦労したが、1999年1月場所に十両に昇進した。しかし立合いが遅く、強引な投げ技が多く糖尿病もあったため2勝13敗と大敗し1場所で幕下に陥落した。同年9月場所は西幕下9枚目で幕下唯一の6戦全勝として幕下優勝と同時に十両復帰のチャンスを得たが、13日目の7番相撲で星違いの十文字に敗れて幕下優勝と十両復帰を逃した。全勝の双筑波が敗れた為幕下は6勝1敗で7人が並んだが、双筑波本人は怪我の為千秋楽に行われた幕下優勝決定戦を棄権する羽目になってしまった(決定戦は双筑波を除く6人で行われ、彩豪が優勝した)。その後は精彩を欠く相撲が多くなり、ヘルニアの持病もあって幕下に低迷。2002年1月場所を最後に27歳で現役を引退した。引退後は実家の建材会社を手伝っている。
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主な戦績
- 生涯成績:201勝173敗6休 勝率.537
- 十両成績:2勝13敗 勝率.133
- 現役在位:54場所
- 十両在位:1場所
場所別成績
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改名歴
- 廣瀬山 昌司(ひろせやま まさし)1993年3月場所
- 広瀬山 昌司(読み方同じ)1993年5月場所~1998年3月場所
- 双筑波 勇人(ふたつくば ゆうと)1998年5月場所~2002年1月場所
脚注
関連項目
外部リンク
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