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吉田兼敬

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吉田兼敬
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吉田 兼敬(よしだ かねゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿神道家歌人神祇少副吉田兼起の子。官位は正二位吉田神社の祠官、吉田家当主。

概要 凡例吉田兼敬, 時代 ...


略歴

承応2年(1653年)吉田兼起の子として誕生。初名は兼連で、元禄10年(1697年)12月兼敬に改名した。

寛文2年(1662年)10歳で叙爵され、貞享元年(1684年左兵衛督、同4年(1687年神祇権大副を歴任。翌5年(1688年)正月従三位に叙され、公卿に列した。次いで元禄8年(1695年)12月正三位宝永3年(1706年)正月従二位に昇叙。享保14年(1729年)12月、父祖の極位を超えて吉田家最高の正二位に叙される栄誉に浴した。同16年(1731年)12月17日に薨去、享年79。

祖父・兼英は生来病弱で、大伯父・萩原兼従は一子相伝の奥義を吉川惟足に伝授した。しかし、父・兼起も伝授を受けることなく明暦3年(1657年)に卒去したため、幼くして家を嗣ぎ、周囲の補佐を得て神道の教養を深めた。寛文5年(1665年)に諸社禰宜神主法度が発布され吉田家の権威が確立され、寛文8年(1668年)と同12年(1672年)に吉川惟足より返し伝授を受け、父祖の遺業の安定と拡充を図り家の基を固めた。

また、霊元天皇に『祓本』を相伝、次いで東山天皇に『祓本』を講じ、『御奉幣』『八雲神詠口訣』などの相伝にも奉仕した。

著作には『神道大意』『塩釜社縁起』『椋五所大明神由来』などがある。その他、『日本書紀』神代巻、『中臣祓』『六根清浄大祓』などの注釈書も遺しており、歌人としても知られ歌集も伝えられる。

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系譜

  • 父:吉田兼起
  • 母:飛鳥井雅章養女(実は烏丸光賢の娘)
  • 妻:花園実満の娘
    • 男子:吉田兼章
  • 側室:家女房
    • 男子:舟橋尚賢 - 舟橋弘賢の養子
  • 生母不詳の子女
  • 養子
    • 女子: - 実姉

関連項目

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