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吉田兼煕

南北朝時代から室町時代初期の神祇官・吉田神社社務・公卿(卜部氏初)。正三位・神祇大副、侍従。卜部氏17代、吉田家の家祖。吉田卜部氏中興の祖。室町小路にあった自宅の敷地を足利 ウィキペディアから

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吉田 兼熈(よしだ かねひろ)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての神祇官吉田神社社務・公卿卜部兼豊の子。官位正三位神祇大副侍従卜部氏17代・吉田家家祖。吉田卜部氏中興の祖とされる。

概要 凡例吉田兼煕, 時代 ...

経歴

貞和4年(1348年)、卜部兼豊の子として誕生。

永和元年(1375年)、それまでの宿禰を改め朝臣を賜った[1]

永和4年(1378年)、室町幕府3代将軍足利義満が室町第に移ったことから、それまで名乗っていた室町を憚って、社務を務める吉田を家名とした。至徳3年(1386年)、それまでの父祖の官位の例(神祇伯の相当位階従四位下)を超えて従三位に叙され、公卿に列せられた。明徳3年(1392年)には南北朝合一に向けての交渉(明徳の和約)にあたった。

応永9年(1402年)、薨去。

系譜

  • 父:卜部兼豊
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:吉田兼敦
    • 女子:定心院上臈
    • 男子:吉田兼村
    • 男子:吉田兼行
    • 男子:吉田兼富
    • 男子:吉田兼任

脚注

関連項目

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