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名古屋市立広見小学校
名古屋市中川区の公立小学校 ウィキペディアから
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名古屋市立広見小学校(なごやしりつ ひろみしょうがっこう)は、名古屋市中川区広住町にある公立小学校。
教育目標
校訓として「やりぬく子・考える子・健康な子」を設定している[WEB 1]。
歴史
要約
視点
1921年(大正10年)4月、愛知郡愛知町に愛知第四尋常小学校として設置された[1][2]。開校当初は愛知第二尋常小学校校舎の一部を仮校舎とし、6月に大字日置字猿子に新築した校舎に移転した[1][3]。同年8月、愛知町は名古屋市に編入され、学校名も猿子尋常小学校と改められた[2]。1923年(大正12年)から元中区役所愛知分所を転用して仮教場として使用した。
1929年(昭和4年)6月に西日置町字広見に新築した校舎に移転し、同年9月に仮教場を廃止、翌1930年4月に広見尋常小学校へ改称した[1][2]。これに伴い、「知見ヲ廣メ自ラ修学ニ努メルコト」を意味する校章を制定した[4]。法令改正に伴い1941年(昭和16年)に広見国民学校、1947年(昭和22年)に名古屋市立広見小学校と名を変えた[2]。太平洋戦争後、復興土地区画整理事業によって校地が拡張された[5]。
年表
- 1921年(大正10年)
- 1923年(大正12年)6月29日 - 仮教場を設置する[1]。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1934年(昭和9年)11月1日 - 名古屋市の広住町新設により、所在地表記が中区広住町28番地となる[6][7]。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 第3学年以下で二部教授を開始[1]。
- 1937年(昭和12年)
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、広見国民学校となる[9]。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)
- 1979年(昭和54年) - 校庭の西側に造成した「広見の森」完成[4]。
- 1980年(昭和55年)5月25日 - 住居表示実施により、所在地表記が中川区広住町4番41号となる[2][8]。
児童数の変遷
『名古屋市中区史』(1944年)および『愛知県小中学校誌』(2008年、2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[15][16][17]。
1927年(昭和2年) | 911人 | |
1937年(昭和12年) | 1256人 | |
1947年(昭和22年) | 724人 | |
1957年(昭和32年) | 1037人 | |
1967年(昭和42年) | 618人 | |
1977年(昭和52年) | 371人 | |
1987年(昭和62年) | 143人 | |
1997年(平成9年) | 120人 | |
2007年(平成19年) | 91人 | |
2017年(平成29年) | 107人 |
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児童活動
委員会活動
委員会活動として、2022年(令和4年)度は、体育委員会・図書委員会・保健委員会・給食委員会・代表委員会がそれぞれ活動を行っている[WEB 2]。
部活動
部活動として、2022年(令和4年)度は、野球部・サッカー部がそれぞれ活動を行っている[WEB 2]。
通学区域
所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、中川区のうち運河通・西日置町・西日置一丁目・西日置二丁目・広住町・松重町の全域および運河町・山王一丁目・月島町・中川運河東支線の各一部を通学区域として指定している[WEB 3]
また、卒業後の進学先は名古屋市立山王中学校となっている[WEB 4]。
交通アクセス
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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