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和寒駅
北海道上川郡和寒町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
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和寒駅(わっさむえき)は、北海道上川郡和寒町字北町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はワサ。事務管理コードは▲121810[2][3]。駅番号はW38。特急「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。和寒町の代表駅である。
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歴史
要約
視点

- 1899年(明治32年)11月15日:北海道官設鉄道天塩線蘭留駅 - 当駅間延伸開業にともない設置[4]。一般駅[1][5]。
- 1900年(明治33年)8月5日:当駅 - 士別駅間延伸開業[4]。
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局に移管[4]。
- 1912年(大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[4]。
- 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[4]。
- 1925年(大正14年)6月:構内に本線給水所を設置[5]。
- 1927年(昭和2年)1月1日:構内で「つたや」が立売業を開始[5]。
- 1935年(昭和10年)10月12日:駅舎改築[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。この年、和寒駅旅行会が結成[5]。
- 1950年(昭和25年)6月:2番ホーム上で「つたや」が売店を営業開始[5]。
- 1953年(昭和28年)1月3日:寒波により給水設備が凍結。5日まで消防車による蒸気機関車への給水を実施[5]。
- 1957年(昭和32年)8月:駅舎待合室に売店開業[5]。
- 1967年(昭和42年):給水設備(名寄機関区和寒駐泊転向給水業務)廃止[5]。
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)10月:転車台・給水塔を撤去[5]。
- 1973年(昭和48年):構内を跨ぐ人道跨線橋を設置[5]。
- 1974年(昭和49年):新たな構内跨線橋を設置[5]。
- 1980年(昭和55年):転轍機、信号機を継電連動化[6]。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化により連査閉塞運転要員無人化[9]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[10]。
- 1988年(昭和63年)11月30日:現駅舎に改築[6][11][12]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託終了、以後士別駅派遣により出札業務を継続(末期はベニヤ板を外して窓口を開けていた)。
- 1995年(平成7年)4月1日:派遣による出札業務終了。無人化[12]。
- 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに分岐器の重量化(引き続き両開き型)・ホームの嵩上げを実施[13]。
駅名の由来
→「和寒町 § 町名の由来」も参照
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駅構造
2面3線の島式・相対式の複合ホームを持つ地上駅。国鉄規格の木造駅舎は解体され、改築後の駅舎は西側1箇所にある。なお、駅舎内には当駅と宗谷本線に関係する歴史が記載された年表、古写真などが展示されている[12]。
のりば
- 駅舎(2004年6月)
- ホーム(2017年10月)
- 跨線橋(2017年10月)
- 駅名標(2017年10月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
かつては塩狩峠を超える際に、当駅が機関車待機の拠点となっていた[12]。駅前にはタクシー会社の営業所や食堂が立ち並んでおり、拠点であったことの名残がある[12]。
その他
前述したとおり、かつては当駅が機関車待機の拠点となっていたため、当駅で駅弁の立ち売り販売が実施されていたが、1995年に無人化されて以降は実施されていない[12]。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■宗谷本線
- 「宗谷」「サロベツ」「なよろ」停車駅
- ■普通
- *:
打消線は廃駅
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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