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和寒駅

北海道上川郡和寒町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

和寒駅map
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和寒駅(わっさむえき)は、北海道上川郡和寒町字北町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号ワサ事務管理コードは▲121810[2][3]駅番号W38特急「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。和寒町の代表駅である。

概要 和寒駅, 所在地 ...
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歴史

要約
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1977年の和寒駅と周囲約500m範囲。上が名寄方面。中央の跨線橋で結ばれた国鉄型配線千鳥式ホーム2面3線と外に複数の副本線、駅舎横の旭川側に貨物積卸場と引込み線、その他旭川側の左右に多数の留置用引込み線がある。駅裏は細長いストックヤード。ホームの跨線橋の旭川側に東口への連絡橋が見える。かつては蘭留駅と同様に塩狩峠越えの補機用機関車が配備され、駅裏の名寄側に待機線と転車台を持っていた。周囲の草木で白い歪な円形状に見えるのが転車台跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1899年明治32年)11月15日北海道官設鉄道天塩線蘭留駅 - 当駅間延伸開業にともない設置[4]一般駅[1][5]
  • 1900年(明治33年)8月5日:当駅 - 士別駅間延伸開業[4]
  • 1905年(明治38年)4月1日鉄道作業局に移管[4]
  • 1912年大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[4]
  • 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[4]
  • 1925年(大正14年)6月:構内に本線給水所を設置[5]
  • 1927年(昭和2年)1月1日:構内で「つたや」が立売業を開始[5]
  • 1935年(昭和10年)10月12日:駅舎改築[5]
  • 1949年(昭和24年)6月1日公共企業体である日本国有鉄道に移管。この年、和寒駅旅行会が結成[5]
  • 1950年(昭和25年)6月:2番ホーム上で「つたや」が売店を営業開始[5]
  • 1953年(昭和28年)1月3日:寒波により給水設備が凍結。5日まで消防車による蒸気機関車への給水を実施[5]
  • 1957年(昭和32年)8月:駅舎待合室に売店開業[5]
  • 1967年(昭和42年):給水設備(名寄機関区和寒駐泊転向給水業務)廃止[5]
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月25日:補助コンテナ基地設置[5]
    • 12月1日:永山保線支区の発足に伴い、和寒線路分区と線路班が廃止され、新たに和寒検査班が発足[5]
  • 1971年(昭和46年)10月:転車台・給水塔を撤去[5]
  • 1973年(昭和48年):構内を跨ぐ人道跨線橋を設置[5]
  • 1974年(昭和49年):新たな構内跨線橋を設置[5]
  • 1980年(昭和55年):転轍機、信号機を継電連動化[6]
  • 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化により連査閉塞運転要員無人化[9]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[10]
  • 1988年(昭和63年)11月30日:現駅舎に改築[6][11][12]
  • 1992年平成4年)4月1日:簡易委託終了、以後士別駅派遣により出札業務を継続(末期はベニヤ板を外して窓口を開けていた)。
  • 1995年(平成7年)4月1日:派遣による出札業務終了。無人化[12]
  • 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに分岐器の重量化(引き続き両開き型)・ホームの嵩上げを実施[13]

駅名の由来

アイヌ語で、「オヒョウニレの木の・傍ら」を意味する「ワッサ(wat-sam)[注釈 1]」に由来する[14]

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駅構造

2面3線の島式・相対式の複合ホームを持つ地上駅国鉄規格の木造駅舎は解体され、改築後の駅舎は西側1箇所にある。なお、駅舎内には当駅と宗谷本線に関係する歴史が記載された年表、古写真などが展示されている[12]

無人駅自動券売機なし。ホーム間の移動は跨線橋を使う。

のりば

さらに見る 番線, 路線 ...

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

さらに見る 年度, 乗車人員(人) ...

駅周辺

かつては塩狩峠を超える際に、当駅が機関車待機の拠点となっていた[12]。駅前にはタクシー会社の営業所や食堂が立ち並んでおり、拠点であったことの名残がある[12]

その他

前述したとおり、かつては当駅が機関車待機の拠点となっていたため、当駅で駅弁の立ち売り販売が実施されていたが、1995年に無人化されて以降は実施されていない[12]

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
「宗谷」「サロベツ」なよろ」停車駅
普通
塩狩駅 (W37) - 和寒駅 (W38) - *東六線駅 (W39) - 剣淵駅 (W40)
*:打消線は廃駅

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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