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和田伸也
日本の長距離走選手 (1977-) ウィキペディアから
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和田 伸也(わだ しんや、1977年7月9日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。 IPC 世界パラ陸上競技クラス T11 [注 1]、大阪府出身、長瀬産業所属、身長 176cm 、体重 62kg [1][2][3]。
2012年、ロンドン・パラリンピックの 5000m で銅メダルを獲得。2013年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン銀メダル、2014年、アジアパラ競技大会 800m 、 1500m 、 5000m 金メダルの三冠、2017年、世界パラ陸上競技マラソン・ワールド・カップ金メダル等で活躍。クラス T11 の 800m 、 5000m 、 10000m 、マラソンのアジア記録、日本記録を樹立、 1500m の日本記録を樹立した。2021年の東京パラリンピックにおいて5000mで銅メダルを獲得した。全盲ランナーとしては日本で初めて健常者のエリートマラソンに出場。自己ベスト2時間32分11秒は T11 の世界記録にあと12秒と迫った。
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経歴
要約
視点
1977年7月9日、大阪府寝屋川市に生まれる。小学校3年生まで堺市で育ち、松原市に転居した。幼い頃から視力が少し低く必要に応じてメガネを使用していたが、スポーツが好きで「野球は無理でも、少し大きめのボールなら」と中学校でラグビーを始めた。生野高等学校ラグビー部に所属したものの、視覚の衰えが徐々に日常生活や運動に支障をきたし、2年生の時に網膜色素変性症と診断されラグビー部を退部。関西大学入学後、学業だけは続けたいと点字や白杖歩行の訓練を受けた。大学3年生の頃には視力がゼロとなったが、習得した点字での読み書きで2002年3月、関西大学大学院社会学研究科博士前期課程を修了した。専門学校での点字の非常勤講師や、豊中市内の障害者自立生活センターでピアカウンセラーとしての勤務を経て、2004年12月、大阪府視覚障害者福祉協会に就職、2005年1月、点字図書館に配属され点字製作の担当になった。[4][5][6]
2006年3月、10年以上スポーツから遠ざかっていたため、運動不足の解消にと知人の紹介で京都の視覚障害者のランニング・クラブ賀茂川パートナーズの練習会に参加した。ランニングの楽しさから、やがて大阪の長居わーわーずの練習にも参加。練習を重ねるごとに走る距離や時間を伸ばしていった。2007年、全日本盲人マラソン選手権の福知山マラソンで初のフルマラソン完走。2008年、2度目のフルマラソンとなる同じ福知山マラソンで3時間切りをするサブスリーを達成し、日本盲人マラソン協会(現:日本ブラインドマラソン協会[注 2])の2009年度の強化指定選手に選ばれた。[6][7][8]

2010年秋、腓骨の疲労骨折で故障があったが、12月には回復し、初出場の国際大会であるアジアパラ競技大会 5000m で4位に入賞した。2011年1月、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソンを自己ベストで銅メダルを獲得。2012年、ロンドン・パラリンピック 5000m では、直前までの自己ベスト16分10秒26の記録を15秒縮め、アジア新記録の15分55秒26で銅メダルを獲得した。2013年、 IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン銀メダル。2014年、韓国の仁川で行われたアジアパラ競技大会では 800m 、 1500m 、 5000m の出場全種目金メダルを獲得し三冠を達成した。[8][9][10]
2016年9月、リオ・パラリンピックでは 1500m で自身の持つ日本記録を予選と決勝で更新し6位、 5000m で6位、マラソンで5位と3種目全てで入賞。12月、クラス T11 の全盲ランナーとしては日本で初めて健常者のエリートマラソンである福岡国際マラソン選手権大会に出場。自己ベスト2時間32分11秒で日本記録を更新、世界記録にあと12秒と迫った。2017年4月、ロンドン・マラソン共催世界パラ陸上競技マラソン・ワールド・カップでは、マラソンの国際大会では自身初となる金メダルを獲得した。7月、世界パラ陸上競技選手権大会の 5000m で銅メダルを獲得。9月、福島市で開催されたジャパンパラ陸上競技大会で、予定していたガイドランナーの故障により、急遽かつて日本陸上競技選手権大会 1500m で優勝経験のある村上康則に伴走者の代役を依頼。 800m でアジア記録・日本記録を更新した。[11][12][13][14][15][16]
2018年9月、長瀬産業に入社。10月、インドネシアのジャカルタで開催されたアジアパラ競技大会 1500m 、 5000m 両種目で銀メダルを獲得した。[17][18]
2021年8月27日、東京パラリンピックの5000mに出場し、ロンドンパラリンピック以来2大会ぶりの銅メダルを獲得した[19]。さらには1500mでは銀メダルを獲得した。最終日のマラソンではT11クラスの選手が2人で、他の選手はT12の障害が比較的軽い選手たちとの混合の中、順位こそ9位だったが、2時間33分5秒とパラリンピック記録及び、アジア記録(福岡国際マラソンの記録はIPC非公認のため)で東京パラリンピックの有終の美を飾った。
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自己ベスト
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選手としての特徴
2010年からパートナーを組んでいる中田崇志は、高橋勇市が2004年のアテネ・パラリンピックのマラソンで金メダルを獲得した時にも貢献したガイドランナーで、次のように述べている。「初めて和田さんと会った日に、短いダッシュをしてもらいました。そのとき、彼なら5000メートルに出場すればメダルを獲れるかもしれないと思い、ひとり興奮しました。和田さん本人は、ジョギングから始めたランナーで、その時点ではトラックを走ったことはほとんどありません。自身はマラソンで活躍してお世話になった人々に恩返しがしたい、という思いを強く持っていました。それを理解したうえで 『5000メートルに強い適性があります。マラソンは弱視との勝負になりますが、5000メートルは全盲のみです。メダルを獲得するために5000メートルで勝負したいです』と私は提案しました」。また、それぞれの伴走ロープの違いについて次のように述べている。「ランナーによって特徴があって、高橋さんの場合は、転倒の危険を避けることを重視するため選手と伴走者の手の甲がくっつくほどに短いロープを使っています。逆にスプリント能力が高い和田さんの場合は、ダッシュを妨げることがないように練習時から長めのものを使っています。」関東と関西に離れている二人は、「会うのは月に1回か2回、年間で15回くらいでしょうか。しかし和田さんとはGPSウォッチを活用し、ふだんの練習状況をアプリで共有しています。練習時の天候、気温、風向き、コース状況、ランニングのスピードやピッチ(歩数)、上下動、心拍数、左右の足のバランスなど全てが記録されたデータが送信されてきますから、生で練習を見ている以上の状況把握が可能になっています」と述べている。[24]
写真
主な成績
国際大会
世界大会
地域大会
国内大会
トラック
マラソン
30km
ハーフマラソン
10マイル
10km
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受賞
- 京都府スポーツ賞優秀賞(2009年、2010年、2011年、2013年、2016年)[115][116][117][118][119]
- 京都府体育協会優秀選手賞(2011年)[120]
- 日本パラリンピック委員会パラリンピック特別賞(2012年)[121]
- 大阪スポーツ大賞競技成績優秀者(2012年)[122]
- 京都府スポーツ賞特別栄誉賞(2012年)[123]
- 感動大阪大賞(2012年)[124]
- 東大阪市市長賞詞(2012年)[125]
- 東大阪市議長賞詞(2012年)[125]
- 大阪スポーツ賞優秀選手賞(2015年、2016年、2017年)[126][127][128]
- 文部科学大臣パラリンピック競技大会入賞者表彰(2016年)[129]
- 大阪市長表彰(2016年)[130]
- キラリいばらき大賞(2016年)[131]
- 京都市スポーツ栄誉賞(2016年)[132]
- アールビーズスポーツ財団第29回ランナーズ賞(2016年)[133]
- 関西大学学長表彰(2017年)[134][135]
- 文部科学大臣平成29年度国際競技大会優秀者表彰(2018年)[136]
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出演
イベント
テレビ番組
コマーシャル
その他
浅生鴨の小説『伴走者』(講談社、2018年)の単行本表紙カバーのデザインに和田とガイドランナーの中田崇志の伴走ロープでつながれた手の写真が使用された。また浅生自身が二人を撮影して制作したプロモーション映像が公開された。YouTube 配信 [147]
香川まさひと原作・若狭星作画の漫画『ましろ日』第3集(小学館、2018年)に、「中途失明後にマラソンに出会った点で、『ましろ日』の主人公・山崎と私は、全く同じ。この作品でブラインドマラソンランナーのことを知ってほしい。」との推薦コメントを寄せている。[148]
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脚注
関連項目
外部リンク
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