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唐名

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唐名(とうめい、とうみょう、からな)は、日本律令制下の官職名や部署名を、同様の職掌を持つ中国の官称にあてはめた雅称。

概要

8世紀前半、大宝律令養老律令により二官八省以下の職制が整備され、百官の職名が制定されていった前後からすでに、同様の職掌を有する唐風の職名および部署名を一種の雅称として用いることが行われていたが、唐風文化に心酔する藤原仲麻呂(恵美押勝)が政権を握ると、天平宝字2年(758年)百官名をすべて唐名で言い換えることになった(仲麻呂自らは新設した紫微中台皇太后宮職として紫微令を称した)。

天平宝字8年(764年)仲麻呂失脚後は旧に戻されたが、その後も官職の別名・雅称として唐風の官名が用いられることが多かった。奈良時代後半から平安時代にかけて生じた様々な令外の官についても、唐名がつけられた(蔵人頭検非違使などの令外官を置いた嵯峨天皇も唐風文化の心酔者であった)。

これらの唐名は、本家中国歴代王朝の職制と完全に一致するわけではないため、必ずしも一対一で置換ができるものではない。そのためいくつかの職においては重複するものがあり、逆にひとつの職に対し複数の唐名があるものも少なくない。

唐名は、除目における朝廷の正式な位記等に記されることこそ無かったが、書簡・日記漢詩など私的な文書には頻繁に用いられた。江戸時代になってからも武家官位に付随する雅称として存続し、明治維新で律令制が名実ともに終焉を迎えた後も、明治初期の太政官制に付随して引き継がれた。

明治18年(1885年)には内閣制度が発足するが、ここでも唐名の伝統は引き継がれ、内閣総理大臣を「首相」、外務大臣を「外相」などと呼んだ。また内閣制度とともに設置された枢密院議長を「枢相」、内大臣を「内府」とも呼んだ。

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主な唐名の一覧

要約
視点

唐名は以下に挙げるものの他にも多数あった。なお、二官八省の官位を持つ者は卿と同様に唐名を用いた。例:中務大輔・中務少輔→中書。

さらに見る 部署名・官名, 唐名(左右の官がある場合、原則として各々唐名の前に左右を付す) ...
さらに見る 位階, 唐名(散官参照) ...
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唐名で知られる歴史的名辞

  • 書名
    • 吏部王記』(りほうおう き)… 式部卿重明親王の日記。式部卿=吏部尚書から。
    • 江吏部集』(ごうりほう しゅう)… 式部大輔大江維時の詩文集。式部大輔=吏部大卿[4]から。
    • 山槐記』(さんかい き)… 内大臣中山忠親の日記。大臣=槐門から。
    • 平戸記』(へいこ き)… 民部卿平経高の日記。民部卿=戸部尚書から。
    • 長秋記』(ちょうしゅう き)… 皇后宮権大夫源師時の日記。皇后宮大夫=長秋監から。
    • 金槐和歌集』(きんかい わかしゅう)…源実朝家集。別名『鎌倉右大臣家集』、「金」は鎌倉の偏を表し、「槐」は槐門(大臣)。
    • 太閤記』 (たいこう き)…関白豊臣秀吉の記録。関白(及びその退任者)=太閤から。複数の同一書名があるが、小瀬甫庵の表した「甫庵太閤記」が著名。[5]
    • 亜相公御夜話』(あしょうこう おんやわ)…加賀大納言前田利家の記録。『利家公御代之覚書』の別名。筆者は利家の小姓だった村井長明。大納言=亜相から。[6]
    • 京兆府尹記事』(けいちょうふいん きじ)…江戸幕府歴代の遠国奉行(京都町奉行を含む)の記録。京都町奉行=京兆府尹から。京都町奉行の長谷川宣雄及びその子長谷川宣以(平蔵、俗に言う鬼平)の記事で著名。
  • 家名の通称
    • 羽林家(うりん け)… 公家の格の一つ。家職とした近衛少将・中将の官職から。
    • 京兆家(けいちょう/きょうちょう け)… 室町幕府管領を輩出した細川氏嫡流。官途の右京大夫=京兆尹から。
    • 武衛家(ぶえい け)… 室町幕府管領を輩出した斯波氏嫡流。官途の兵衛督=武衛から。
    • 金吾家(きんご け)… 室町幕府管領を輩出した畠山氏の事実上の嫡流。官途の衛門督=金吾から。
  • 人名の通称
    • 菅丞相(かん じょうしょう)… 右大臣菅原道真。右大臣=右丞相から。ただし、人形浄瑠璃歌舞伎の名作『菅原伝授手習鑑』では「かんょうょう」という。
    • 儀同三司(ぎどうさんし)… 1) 准大臣藤原伊周。平安時代中期に内大臣藤原伊周は右大臣藤原道長との政争に破れて太宰権帥に左遷されるが、翌年には復権した。その際に位階を旧に復すことは問題がなかったが、すでに三公(内大臣・右大臣・左大臣)には空きがなく官職を大臣に戻すことはできなかった。そこで窮余の策として伊周には大臣に准じて封戸1000戸が与えられることになったが、伊周はこの待遇を、中国の後漢時代に高級武官や外戚などに対して三司(太尉・司徒・司空)と同じ儀礼で扱われる特別待遇が与えられていたことになぞらえて、自らを儀同三司と自称した。この伊周の後は久しく准大臣の例がなかったため、この間は儀同三司といえば専ら伊周のことを指した。2) 准大臣堀川基具。それから276年を経た鎌倉時代中期になって、大臣になる家格を持ちながら長らく権大納言に留まり、若年の摂家の子弟に先を越されて消沈していた堀川基具を慰撫する手段として、准大臣が復活した。基具は伊周に倣って儀同三司を自称したばかりか、これを令外官同然と認識して文書への署名も儀同三司を使用したことから批判を受けたが、これ以後准大臣が実質的官位として定着すると儀同三司もその唐名として定着した。
    • 悪左府(あく さふ)… 左大臣藤原頼長。左大臣=左府から。「」は苛烈で妥協を知らない頼長の性格を表したもの。
    • 平相国(へい しょうごく)… 太政大臣平清盛。太政大臣=相国から。その後出家したことから入道相国(にゅうどう しょうごく)とも。
    • 典厩信繁(てんきゅう のぶしげ)… 武田信玄の弟・信繁。官途の左馬助=典厩から。
    • 織田右府(おだ うふ)… 織田信長の生前極官が右大臣=右府だったことから。
    • 江戸内府(えど ないふ/だいふ)… 内大臣徳川家康秀吉最晩年期から将軍任官まで。内大臣=内府から。「内府ちかひの条々」などが有名。
      • 右僕射源朝臣家康… 右大臣徳川家康の意。方広寺鐘銘事件で、林羅山が、「源を射る」と読み家康呪詛の意図があると難癖をつけた。
    • 金吾中納言(きんご ちゅうなごん)… 左衛門督兼中納言小早川秀秋。衛門督=金吾から。
    • 水戸黄門(みとこうもん)… 水戸藩主・権中納言徳川光圀。権中納言=黄門から。
    • 毛利宰相(もうり さいしょう)… 参議毛利秀元。参議=宰相から。「宰相殿の空弁当」の故事で有名。
    • 甲府宰相(こうふ さいしょう)… 参議徳川綱重徳川家宣(初名・綱豊)のこと。参議=宰相から。参議=宰相は他にも姫路宰相・池田輝政など甚だ例が多いが、歌舞伎の元禄忠臣蔵「御浜御殿綱豊卿の場」で著名なこの人物のみを代表として記す。
    • 本多中書(ほんだ ちゅうしょ)… 中務大輔本多忠勝。中務省=中書省から。『本多中書家訓・御遺書』『本多中書聞書』など。
    • 脇坂中書(わきさか ちゅうしょ)… 中務少輔・脇坂安治。中務省=中書省から。彼の屋敷があった伏見の一画は今日も伏見区中書島の地名にその名を残す。
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脚注

参考文献

関連項目

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