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園池公静
幕末の公家、明治期の内政官僚 ウィキペディアから
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園池 公静(そのいけ きんしず)は、幕末の公家、明治期の内政官僚。第一次奈良県知事、子爵。
経歴
左近衛権中将[1]・園池実達の二男[2]として生まれる。嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官[2]。
慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[2][3]。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる[4]。
慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた[2][4]。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官[5]。同年9月17日(10月11日)侍従に就任[4]。以後、滋宮祗候・明宮祗候を務めた[2]。
栄典
親族
脚注
参考文献
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