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壷林貴也
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来歴
1992年にFJ1600でレースデビュー。1994年にジム・ラッセル・レーシングスクールに入校し、卒業。また、フォーミュラ・ボクスホールに参戦。1995年からフォーミュラ4の筑波シリーズに参戦、翌年にはシリーズチャンピオンを獲得。2004年にはワールドシリーズ・バイ・ニッサンにも参戦。また、同年から全日本GT選手権(現:SUPER GT)・GT300クラスにも参戦を開始。現在は、MINIによるワンメイクレース「MINIチャレンジ」のディレクターやスクールの講師として活動している。
戦績
- 1992年 - FJ1600東北シリーズ
- 1994年
- 英国フォーミュラ・ボクスホール・ジュニア
- 英国ジム・ラッセル・レーシングスクール卒業
- 1995年 - F4筑波シリーズ(シリーズ2位)
- 1996年 - F4筑波シリーズ(シリーズチャンピオン)
- 1997年 - 全日本F3選手権<Rd.7&8>(PROKIDAI WITH TORII RACING #39 KDS ダラーラ トリイ トヨタ/ダラーラF396 トヨタ3S-G)
- 1998年 - F4鈴鹿シリーズ
- 2000年 - VWニュービートルカップ(シリーズ2位)
- 2002年 - インターナショナル・ポッカ1000km S-Eクラス(ススキレーシング #34 ススキレーシングアドバンGTR/BNR34)
- 2003年 - スーパー耐久・Class1(チョロQレーシングチーム #99 CRT-PIRELLIポルシェ/996JGN)(シリーズ4位)
- 2004年
- ワールド・シリーズ・バイ・ニッサン<Rd.5~7>(Gabord Reyco #1/ダラーラSN01 VQ35DE)
- 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.6,7>(TEAM LEYJUN #63 LEYJUNダンロップ320R/VEMAC RD320R C32B)
- 2005年 - SUPER GT・GT300クラス<Rd.5,7,8>(ARKTECH MOTORSPORTS #112 ARKTECH RodeoDrive WAKO'S GT3/996GT3 M96/77)
- 2006年
- SUPER GT・GT300クラス<Rd.1>(A&S RACING #9 NOMAD ADVAN LeyJun MT/MT900R LS-1)
- SUPER GT・GT300クラス<Rd.6>(ARKTECH MOTORSPORTS #110 TOTALBENEFIT GREENTEC BOXSTER/986 M96/77)(シリーズ28位)
- 2007年
- SUPER GT・GT300クラス<Rd.3,6>(ARKTECH MOTORSPORTS #111 KUMHO GREEN-TEC BOXSTER-GT/986 M96/77)
- 全日本スポーツカー耐久選手権・LMGT1クラス<Rd.1>(ZIP SPEED #4 ZIPSPEED CORVETTE/C4 LS-1)
- 2009年 - SUPER GT・GT300クラス<Rd.1~4>(ARKTECH MOTORSPORTS #111 石松 with ARKTECH GT3/996GT3 M96/73)
全日本フォーミュラ3選手権
ワールド・シリーズ・バイ・ニッサン
N1耐久シリーズ/スーパー耐久
十勝24時間レース
全日本スポーツカー耐久選手権
全日本GT選手権/SUPER GT
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エピソード
- ジム・ラッセル・レーシングスクールでは日本人として唯一講師の資格を有しており、同スクールの講師時代の教え子にはジェンソン・バトンが居る[1]。
- 幼少期はサッカーや野球等スポーツに高じており、特にサッカーでは小学生時代には神奈川県の決勝や湘南の選抜に選ばれる程の実力を持っている[2]。
- 18歳の時に免許を取得して以降、バイト先の先輩に誘われて峠に繰り出すようになり、車の優劣で勝ち負けが決まる事に納得がいかず、尚且つ当時F1ブームだった事もありレギュレーションである程度統一された中競うレースに興味を持ったのがレースを始める切っ掛けとなった[2]。
- 当時、大学進学の為浪人していたが、レーシングドライバーを志すに当たり通っていた予備校を辞め、親戚が営んでいた運送業を始め、アルバイトを掛け持ちして、1年間で500万円程集めた。その資金を元手にFJ1600を購入し、レースを始めた[2]。
脚注
外部リンク
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