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大久保忠高

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大久保 忠高(おおくぼ ただたか)は、江戸時代前期から中期の旗本大名烏山藩大久保家初代。

概要 凡例大久保 忠高, 時代 ...

生涯

1500石を領した旗本大久保忠知の長男として生まれた。

正保元年(1644年)、父の死去により遺領を相続する。500石を弟の忠信に分与して1500石を領した。小姓組番頭、新番頭を経て寛文2年(1662年)1,000俵加増。延宝4年(1676年)に留守居となり、延宝7年には(1679年)2000俵、天和2年に(1682年)2000石をそれぞれ加増された。さらに側衆に進み、貞享元年(1684年)に2000石加増され、貞享3年(1686年)に1500石を加えて近江国6郡に計1万石を領する大名となった。

元禄2年(1689年)に徳川綱吉から側衆を罷免され閉門処分となった。

元禄12年(1699年)に家督を次男の常春に譲って隠居した。元禄15年(1702年)死去。


先代
-
近江国
1686年 - 1699年
次代
大久保常春
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