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大分交通宇佐参宮線

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大分交通宇佐参宮線
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宇佐参宮線(うささんぐうせん)は、かつて大分県豊後高田市豊後高田駅から同県宇佐郡宇佐町(現・宇佐市)の宇佐駅を経て、同町の宇佐八幡駅までを結んでいた、大分交通鉄道路線である。

概要 宇佐参宮線, 概要 ...
さらに見る 停車場・施設・接続路線(廃止当時) ...
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26号蒸気機関車

日豊本線宇佐駅から豊後高田市街や宇佐神宮へのアクセス路線として建設されたが、大分交通の経営するバス路線と競合するため廃止された。豊後高田からさらに東方へ延伸し、国東線と共に国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、実現せず終わった。

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路線データ

1965年(昭和40年)3月当時

運行概要

  • 運行本数:豊後高田 - 宇佐八幡間10往復半(他、宇佐八幡 - 宇佐間上り区間列車が1本存在)
  • 所要時間:豊後高田 - 宇佐間11分、宇佐 - 宇佐八幡間12 - 13分

歴史

要約
視点
概要 種類, 本社所在地 ...

宇佐神宮のある宇佐郡宇佐町と国東半島の玄関口にあたる西国東郡高田町を国鉄宇佐駅へ鉄道で結ぶべく地元有志により1911年(明治44年)1月に鉄道敷設申請が提出された。翌1912年(明治45年)5月鉄道免許状が下付されたものの、資金調達が捗らす延長申請が繰り返された。ようやく1914年(大正3年)3月になり宇佐参宮鉄道が設立され、資本金を15万円とし、初代社長に水之江浩[注釈 1][2]が就任した。同年12月工事施工の認可が下りると、1916年(大正5年)3月豊後高田-宇佐-宇佐八幡間が開通した。業績は好調で車両、施設など増強し、真玉及び拝田への路線延長を計画した。1924年(大正13年)に豊後高田より中真玉村までの延長敷設免許を取得したが、地元の豊後高田町が中間駅となることに反対の声を上げ、また桂川の架橋費用の問題もあり1928年(昭和3年)免許失効となる。また宇佐八幡駅より日出生鉄道(豊州鉄道→大分交通豊州線)拝田駅までの延長敷設免許を1928年(昭和3年)に取得すると用地取得、工事着手と順調に進んだが、終点拝田駅の共同使用について豊州鉄道[注釈 2]が不利になるとして難色を示したため協議にならず1930年(昭和5年)鉄道大臣に裁定方を申請するが決着はつかなかった。そうしている間に不況の影響で収益は悪化しついに1935年(昭和10年)に計画は放棄され西国東郡と宇佐郡を結ぶ計画は消滅した。

  • 1912年(明治45年)5月1日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町-西国東郡高田町間)[3][4]
  • 1914年(大正3年)3月25日 宇佐参宮鉄道株式会社設立[3]
  • 1916年(大正5年)3月1日 全線開業[3][5]
  • 1924年(大正13年)6月9日鉄道免許状下付(西国東郡高田町-同郡中真玉村間)[6]
  • 1928年(昭和3年)
    • 3月9日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町-同郡豊川町間)[7]
    • 5月4日 鉄道免許失効(西国東郡高田町-同郡中真玉村間 指定ノ期限内ニ工事施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[8]
  • 1932年(昭和7年)2月25日 鉄道免許失効(宇佐八幡起点5492m-終点間 指定ノ期限マテニ実施設計ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[9]
  • 1935年(昭和10年)4月17日 鉄道起業廃止許可(宇佐郡宇佐町-同郡豊川村間)[10]
  • 1945年(昭和20年)4月20日 交通統制により、県下の鉄道・バス会社と共に大分交通へ統合
  • 1965年(昭和40年)

駅一覧

1965年(昭和40年)8月当時

豊後高田駅 - 封戸駅 - 宇佐駅 - 橋津駅 - 宇佐高校前駅 - 宇佐八幡駅

接続路線

輸送・収支実績

さらに見る 年度, 輸送人員(人) ...
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
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車両

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脚注

参考文献

関連項目

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