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大勲位菊花大綬章

日本の勲章のひとつ ウィキペディアから

大勲位菊花大綬章
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大勲位菊花大綬章(だいくんい きっか だいじゅしょう、英訳名 : Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章の一つ。1876年明治9年)12月27日に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章であり、現在は天皇国家元首以外の生存者叙勲としては事実上最高位である。

概要 大勲位菊花大綬章, 日本の勲章 ...
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概要

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大勲位菊花大綬章を着用した昭和天皇

大勲位菊花大綬章は、1876年明治9年)12月27日、日本の最高位勲章として、旭日章に次いで明治初期に制定された勲章である。イギリスのガーター勲章やスウェーデンのセラファン勲章英語版、またデンマークの象勲章など、当時王室国家の多くが、普通勲章の上に制定していた最高位勲章の類に倣い制定されたものである。旭日大綬章または瑞宝大綬章を授与するに値する以上の功労のある者に与えられる上位勲章として桐花大綬章(旧称は勲一等旭日桐花大綬章)が制定されているが、大勲位菊花章は更にその上位に位置する。皇室儀制令で定められていた宮中席次では、大勲位帯勲者は内閣総理大臣などの現職高官をも上回る序列第一類に属し、大勲位菊花章頸飾受章者に次ぐ第二位であった。2003年平成15年)11月3日に行われた栄典制度改正後も、以前と変わらず日本の最高勲章の一つとして運用されている。

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意匠

菊花大綬章のデザインは、日本の国旗である「日の丸」を象徴する赤いガラスの日章[注釈 2] を中心に、光線(旭光)が放射状に伸びるといった、旭日章をおおよそ踏襲した物であるが、上下斜めの八方向に旭光が伸びる旭日章に対して、菊花章の旭光は縦横の四方向のみである。また全ての旭光部分には白色七宝で彩色が施されている。この四方に伸びた旭光を囲むように、黄色と緑色の七宝で彩色された菊花と菊葉がそれぞれが配されており、全体的なシルエットは円形に近い。鈕(「ちゅう」。章と綬の間にある金具)は菊花を象っている。正章・副章を含めて全ての地金は純銀で、正章は全体が金鍍金で仕上げられている。副章もほぼ同様の意匠であるが、中心部の旭光には、四方に伸びる外側の旭光に加え、内側に旭日大綬章の副章と同様の八方向に伸びる旭光が重ねられている。章の大きさは、正章の直径は76mm、副章の直径は91mm。旭日章と同様に、正章の裏面は表面同様の刻印と七宝が施されている。

他の勲章が「勲功旌章」の刻印を持つ中で、菊花章に限っては「大勲旌章」の文字が刻まれており、菊花大綬章においては正章の鈕の裏面、また副章の裏面中央に刻印がある。

綬は赤の織地の両脇を紫が縁取る紅紫織。制定当初は男性用の綬は117mm幅と定められていたが、平成に入って他の勲章の大綬と同じく100mm幅に変更されている。女性の外国元首などへ贈与する場合は宝冠大綬章と同じ79mm幅の大綬が用いられる[注釈 3]。大綬は右肩から左脇に垂れ、正章を掛ける。副章は左胸に佩用する。栄典制度改定以前に女性国家元首などに贈られた際には、宝冠章の大綬と同様の蝶結状のロゼッタを持つ大綬が用いられていたが、現在では大きさこそ異なるものの、男性用と同じ扇型を合わせた円形のロゼッタを持つ物が用いられている。

栄典制度改正による意匠の変更

大勲位菊花大綬章は栄典制度改正後も、制定以来の意匠を保持している。製造個体差以外ほぼ変わらないと言って良い。

戦前などの古い写真では、現時のモノクロ処理の画像とは異なり綬の紫の部分が白く写っている物が多いが、これは当時使用していたフィルムの色反応によるもので、大綬の色味は制定以来変わっていない。

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運用

要約
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中曽根康弘の内閣・自由民主党合同葬にて供えられた大勲位菊花大綬章(中央右)(2020年10月17日グランドプリンスホテル新高輪にて)。

旭日章宝冠章瑞宝章というこれら三種の普通勲章の上位勲章として桐花章が制定されているが、菊花章はその桐花章を授与するに値するより更に優れた功績を国家にもたらした者が対象とされる。日本国憲法施行後、一般国民への叙勲は、約5年以上内閣総理大臣を務めた者、最高裁判所長官を長年務め多大な功績があった人物などに授与される例が多いが、戦後の生存者叙勲再開後では、生前授与されたのは総理大臣経験者3名と非常に少ない。没後叙勲でも、1974年田中耕太郎を最後に総理大臣経験者以外の授与例はない。

戦前は皇族・王公族のほか、総理大臣経験者に限らず陸海軍・枢密院などで活躍した者にも授与された。

2003年11月2日までは、「大勲位」という勲等と「菊花大綬章」という勲章に分けられていたが、翌11月3日からの栄典制度改正適用により勲等が廃止され、「大勲位菊花大綬章」が勲章の名称となった。なお、改正時の政令附則により、改正前に授与された者は改正後も引き続き勲等・勲章とを分けた状態で有しているものと扱われる。

同気勲章について

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1959年、明仁親王・正田美智子の結婚

当時制定されていた勲章佩用式<明治21年勅令第76号>第一条で

「但菊花章ヲ賜ヒタル者ハ旭日桐花大綬章瑞寶一等章ヲ併セ佩フルコトヲ得」

と定められており、同気勲章という慣例的制度として菊花章受章者は同章の受章と同時に勲一等旭日桐花大綬章及び勲一等瑞宝章を授与された。皇族などの旧写真において勲一等旭日桐花大綬章勲一等瑞宝章の授章記録の無い者であるにもかかわらず、これら三章の併佩が見られるのはこのためである。この際の勲一等旭日桐花大綬章並びに勲一等瑞宝章の受章者欄には記載されることはない。またこの三章併授の例は国内のみで見られる物であって、海外要人(元首)に対する儀礼叙勲等で行われた記録は無い。

現在ではこのような併授は行っておらず、上記の条文がどの時点まで有効であったかを確実に記す資料(法的な根拠の証明)は存在しない。今のところ、1959年(昭和34年)4月に、皇太子明仁親王(現:上皇明仁)の成婚時に正装写真が上記3章を併せて佩用されたのが最後の写真資料になっている。

映像資料では翌1960年(昭和35年)にネパールマヘンドラ国王夫妻を国賓として迎えた際の宮中晩餐会にて3章併佩の皇太子明仁親王(現:上皇明仁)の姿が確認されている。

1964年(昭和39年)に生前者叙勲が再開されたことにより、戦後初となる菊花大綬章を受章した吉田茂は皇居での親授式後に撮影された写真にて勲一等旭日大綬章を併佩した姿が確認できるため、少なくともこの時点にはすでに同気勲章が無くなっている。

外国人に対する儀礼的叙勲での運用

皇族の外遊や国賓としての公式に来日する国家元首レベル以上の者に贈られる。相手国の元首の称号の格に対して最高の勲章が交換されるか、もしくは互いに同等の高位な勲章を交換するのが外交儀礼である。近年では、例えば2011年1月11日に日本を公式訪問したウクライナヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領フランスフランソワ・オランド大統領へ授与されている。

菊花章については主に君主大統領などの国家元首がその対象で、特に国王大公首長などの君主については、同時に大勲位菊花章頸飾が授与されることが多い。また公式訪問の際に同席する、元首以外の王皇族についても、男子の場合はおおむね大勲位菊花大綬章が贈られる。

女性王族については、勲一等宝冠章(現在の宝冠大綬章)が授与されてきたが、例えばマルグレーテ2世 (デンマーク女王)のように女王などの称号で女性が君主である場合や、コラソン・アキノ(フィリピン大統領)のように女性自身が大統領として国家元首である場合は、大勲位菊花大綬章が授与される[注釈 4]。また近年ではスウェーデンヴィクトリア王太子など、王太子が女性の場合でも同様である。

皇族に対する叙勲

皇室典範(いわゆる旧皇室典範)の法体系に属する「皇族身位令」(明治43年皇室令第2号→昭和22年廃止)の規定により、皇族男子に対する叙勲が行われていた。

  • 第九条 皇太子皇太孫ハ満七年ニ達シタル後大勲位ニ叙シ菊花大綬章ヲ賜フ
  • 第十一条 親王ハ満十五年ニ達シタル後大勲位ニ叙シ菊花大綬章ヲ賜フ

皇族身位令が廃止された1947年(昭和22年)以降は、慣例として旧皇族身位令をおおよそ踏襲し、皇太子が18歳(皇室典範)、親王が20歳(民法)でそれぞれ立太子又は成年を迎えた際に授与されている。

受章者一覧

皇族・王公族

大日本帝国憲法
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日本国憲法
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一般受章者

明治時代

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大正時代

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昭和時代(戦前)

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昭和(戦後)および平成・令和時代

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脚注

注釈

  1. 1918年(大正7年)、西園寺公望に授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02114100)。
  2. 明治の制定当初のごく初期の物のみ中心も七宝
  3. マルグレーテ女王のように体格が大きい場合は、事前の打ち合わせで綬を長めにしたり幅を男性用と同じにすることもある
  4. 勲章制定のごく初期には、リリウオカラニ (ハワイ女王)・オランダ女王ウィルヘルミナなど、女王の称号を持つ国家元首でも勲一等宝冠章(宝冠大綬章)であった
  5. 後に東伏見宮を創設する。
  6. 存命中に受けた人物であるため、マスコミでは中曽根を「大勲位」と呼んでいた。なお中曽根は戦前に位階(従六位)を受けていた。

参考文献

  • 総理府賞勲局監修『勲章』、毎日新聞社、1976年(昭和51年) 
  • 総理府賞勲局監修『日本の勲章』、大蔵省印刷局、1989年(平成元年)6月
  • 佐藤正紀『勲章と褒賞』、社団法人時事画報社、2007年(平成19年)12月 
  • 川村晧章『勲章みちしるべ~栄典のすべて~』、青雲書院、1985年(昭和60年)3月 
  • 藤樫準二『勲章』、保育社カラーブックス、1978年(昭和53年)5月 
  • 藤樫準二編『皇室事典』、毎日新聞社、1965年(昭和40年)5月。新版・明玄書房
  • 三省堂企画監修『勲章・褒章辞典』日本叙勲者顕彰協会、2001年(平成13年)8月
  • 三省堂企画監修『勲章・褒章 新栄典制度辞典 -受章者の心得-』、日本叙勲者顕彰協会、2004年(平成16年)3月
  • 伊達宗克『日本の勲章 -逸話でつづる百年史-』、りくえつ、1979年(昭和54年)11月 
  • James W. Pererson『ORDERS AND MEDALS OF JAPAN AND ASSOCIATED STATES -Thied Edition-』、An Order and Medals Society of America monograph、2000年
  • 婦人画報増刊『皇族画報』、東京社、1915年(大正4年)5月
  • 婦人画報増刊『御大典記念 皇族画報』、東京社、1928年(昭和3年)10月
  • 中堀加津雄監修『世界の勲章展』、読売新聞社、1964年(昭和39年)
  • 『皇族・華族 古写真帖』、新人物往来社、2003年(平成15年)8月、ISBN 4-404-03150-5 
  • 『明治・大正・昭和天皇の生涯』、新人物往来社、2005年(平成17年)12月 ISBN 4-404-03285-4  
  • 『宮家の時代 セピア色の皇族アルバム』、鹿島茂解説、2006年(平成18年)10月、ISBN 4-02-250226-6
  • 大久保利謙監修『旧皇族・華族秘蔵アルバム 日本の肖像 第十二巻』、毎日新聞社、1991年(平成3年)2月 
  • 歴史読本 特集 天皇家と宮家』、新人物往来社、2006年(平成18年)11月号
  • 平山晋『明治勲章大図鑑』、国書刊行会、2015年(平成27年)7月
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外部リンク

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