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ダイワボウホールディングス
日本の大阪府大阪市中央区にある持株会社 ウィキペディアから
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ダイワボウホールディングス株式会社(英称:Daiwabo Holdings Co., Ltd.)は、日本のOA機器の販売を行う商社や産業機械メーカーを統括する持株会社である(繊維メーカーは2024年3月に発行済株式の85%を譲渡)。本社は大阪府大阪市北区。
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沿革
- 1941年4月 - 錦華紡績[1]、日出紡織[2]、出雲製織[3]、和歌山紡織[4]の4社が合併して大和紡績(本社・大阪市)が設立される[5][6]。
- 1949年5月 - 東京証券取引所、大阪証券取引所上場。
- 1964年3月 - 播磨工場にポリプロ設備を開設。
- 1971年9月 - 霧島国際ホテル開業[7]。
- 1975年10月 - 赤穂国際カントリークラブ開場[6]。
- 1982年4月 - ダイワボウ情報システム設立。
- 1988年2月 - ダイワボウレーヨン設立[8]。
- 1992年10月 - ダイワゴムを吸収合併。
- 1994年3月 - ダイワボウポリテックを設立。
- 1994年10月 - 蘇州大和針織服装有限公司を設立。
- 1999年3月 - ダイワボウ・インダストリアル・ファブリック・インドネシアを設立。
- 2002年1月 - ダイワボウアドバンスを設立。
- 2002年9月 - ダイワボウマテリアルズを設立。
- 2005年10月 - 大和紡工業(蘇州)有限公司を設立。
- 2005年12月 - ダイワボウアソシエを設立。
- 2006年1月 - 純粋持株会社に移行。事業子会社としてダイワボウノイ、ダイワボウプログレス、ダイワボウポリテック、ダイワボウエステートを設立。
- 2009年3月 - ダイワボウ情報システムを完全子会社化。
- 2009年7月 - ダイワボウホールディングス株式会社に商号変更。繊維事業を中心とする子会社12社を統括する中間持株会社として「大和紡績株式会社」を設立。
- 2009年10月 - 業種が繊維製品から卸売業へ変更。
- 2011年7月 - 持分法適用会社であったオーエム製作所を完全子会社化。
- 2012年1月1日 - ダイワボウマテリアルズがダイワボウプログレスに事業を移管(7月31日清算結了)。
- 2021年4月 - ダイワボウ情報システム㈱の子会社の、ディーアイエスサービス&サポート㈱とディーアイエスソリューション㈱が合併し、ディーアイエスサービス&ソリューション㈱として事業を開始。
- 2022年8月 - 本社事務所を大阪市北区中之島三丁目2番4号中之島フェスティバルタワー・ウエストに移転。
- 2023年4月 - 子会社ダイワボウ情報システム株式会社が、アルファテック・ソリューションズ株式会社の全株式を取得。
- 2024年3月 - 繊維事業(大和紡績株式会社)の発行済株式の85.0%を株式会社アスパラントグループSPC11号へ譲渡
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前身各社
- 和歌山紡織 - 1887年に、元田辺藩士で漢学者の赤城友次郎を社長に創業し、機械紡績で綿ネル用の糸を生産。第一次大戦期と関東大震災後の需要増で業績を伸ばした。[9]
- 日出紡織 - 1912年に、渋沢栄一を発起人、渋沢の親戚・大川英太郎を代表に、和歌山県日高郡(現・御坊市)にて創業。大川は渋沢の伯母やえの孫であり、最初の妻千代の甥。1934年から1941年までは最寄り駅として紀州鉄道線(当時は御坊臨港鉄道)に日出紡績前駅[11]が設置されていた。御坊市新町には同社の赤レンガ塀が現存する。[12][13]
- 錦華紡績 - 1917年に、三井財閥の早川千吉郎が出身地金沢に金沢紡績を設立し、1926年に浪速紡績を合併して錦華紡績と社名変更。当時建設された倉庫群は現在金沢市民芸術村として使用されている。[14]
- 出雲製織 - 1920年に、出雲出身の技術者でベッチン業の飛躍的発展の基礎を築いた宍道政一郎(1876-1938)が島根県出雲市に設立。跡地には出雲科学館が建設され、出雲科学館パークタウン前駅(前名・大和紡前駅)近くに1937年建設の旧出雲製織事務所棟が現存、松江市宍道町には旧宍道工場がオーエム製作所の事務所棟として現存する。[14][15][16]
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グループ
連結子会社
主な持分法適用関連会社
スポーツ選手との所属契約
その他
脚注
関連項目
外部リンク
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