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大島映二

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

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大島 映二(おおしま えいじ、1957年6月6日 - ) は、将棋棋士高柳敏夫名誉九段門下。棋士番号は130。東京都品川区生まれ[1]静岡県沼津市出身[2]

概要 大島 映二 八段, 名前 ...

棋歴

将棋を覚えたきっかけは、10歳ぐらいのときに新聞の将棋欄に書かれていた「不思議な数字」(棋譜)に興味を持ったことであり[1]、後にプロになる者としては、かなり遅いスタートであった。

しかしながら、1971年、14歳で奨励会に入り、5年後の1976年に19歳でプロ入りを果たす。

1980年度、若手の登竜門である若獅子戦(第4回)で、棋戦初優勝。

1989年度、第2期竜王ランキング戦4組で準優勝し、3組へ昇級。ちなみに、このときの4組優勝者は森下卓五段(当時)であった。

1991年度、第32期王位戦でリーグ入り。

順位戦では、初参加の第36期C級2組(1977年度)以来、昇級も降級点もなく第54期(1995年度)を迎えた。この期では、残り1局の時点で8勝1敗で4番手という絶好のポジションにつけた。ライバルは、大島より順位が下で9勝無敗の北浜健介、および、大島より順位が上で同じく8勝1敗の先崎学中田宏樹の計3名であった。自力ではないものの、最終10回戦で勝てば昇級の可能性は高かった。しかし、最終局では大島だけでなくライバル3人もすべて勝ったため、大島は9勝1敗で次点という“頭ハネ”を食らってしまった。以降、順位戦で勝ち越すことが出来ず、第56期(1997年度)に2勝8敗で初の降級点を喫する。第61期(2002年度)に2勝8敗で2度目の降級点。第63期(2004年度)に3勝7敗で3度目の降級点を喫し、フリークラスに陥落した。その後10年間でC級2組復帰を果たすことができず、フリークラス引退規定により2015年3月12日付で引退となった[3]

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人物

  • 趣味はラテン音楽、落語、俳句[1]
    • ラテン音楽(ブラジル音楽)では、サンバチームに入っていたことがある[4]
    • 俳句では、1999年秋の「第7回読売全国俳句大会」で、一般部門・選者特選を受賞[4]
  • 大のプロレスマニアで、特に悪役レスラーが好み。若手時代にプロレスのために大金はたいてビデオデッキを購入し、棋士仲間や連盟職員が住みかに集まると、次々とプロレスビデオをかけるというほか、プロレス会場にいくと子供にまじってレスラーにサインをねだっていたという[5]

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

  • 1971年00月00日 : 7級 = 奨励会入会
  • 1974年00月00日 : 初段
  • 1975年00月00日 : 三段
  • 1976年10月01日 : 四段(三段で12勝3敗) = プロ入り[6]
  • 1984年04月01日 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝)
  • 1989年08月22日 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝)
  • 2000年03月06日 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝、通算370勝)[7]
  • 2015年03月12日 : 引退(フリークラス規定、466勝580敗)[3][8]
  • 2020年04月01日 : 八段(引退棋士昇段規定)[9]

主な成績

要約
視点

通算成績 1046対局 466勝 580敗(勝率 0.4455)[8]

棋戦優勝

優勝合計1回

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
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表彰

  • 現役勤続25年表彰(2001年)[12]

脚注

関連項目

外部リンク

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