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大石雅昭
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大石 雅昭(おおいし まさあき、1933年6月11日 - )は、大阪府[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。1955年の登録名は大石 雅正。
来歴・人物
向陽高校から日本生命に進む。左翼手、三番打者として活躍し、1953年から都市対抗に2年連続出場[2]。
1955年に近鉄パールスへ入団。1年目から主に右翼手、四番打者として起用され、規定打席(26位、打率.263)にも到達した[1]。翌1956年も78試合に先発出場するが。1957年には打撃が低迷し出場機会が減少。1958年にはウエスタン・リーグで打率.362を記録し、首位打者を獲得するも、1959年限りで引退となった[1]。
孫に、元北海道日本ハムファイターズの荒張裕司がいる。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 28 (1955年 - 1959年)
登録名
- 大石 雅正 (1955年)
- 大石 雅昭 (1956年 - 1959年)
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関連項目
脚注
外部リンク
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