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太田文高
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太田 文高(おおた ふみたか、1936年2月8日 - 没年不明[1])は、大分県[1]出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
来歴・人物
上野丘高校では1953年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東九州大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗れ甲子園出場はならなかった。高校の1年下に葛城隆雄がいる。
1954年に中日ドラゴンズへ入団[1]。1957年にウエスタン・リーグで本塁打王を獲得[1]。1959年に一軍に定着し、左翼手、中堅手として49試合に先発出場。翌年も準レギュラーとして起用されるが、その後は出場機会が減少。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 69 (1954年)
- 45 (1955年 - 1957年)
- 23 (1958年 - 1961年)
- 4 (1962年)
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関連項目
脚注
外部リンク
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