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宝塔院

新潟県三条市東裏館1丁目にある真言宗智山派の寺院 ウィキペディアから

宝塔院map
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宝塔院(ほうとういん)は新潟県三条市東裏館1丁目に所在する真言宗智山派[1]寺院山号は多宝山[2]本尊釈迦如来[1]越後三十三観音霊場第32番札所[2]。正式名称は多宝山 宝塔院 妙泉寺[1]

概要 宝塔院, 所在地 ...

概要

境内には本堂観音堂がある。観音堂の本尊は観世菩薩

毎年8月10日には「観音大祭」が行われる[3]

歴史

大治元年(1126年)に法印性鑁せいばん法師により開山された[4]

建武延元の頃の三条城主、三条左衛門定明の祈願所として栄え、その奥方千坂姫の菩提所ともなっている[1][2]

文政11年(1828年)に三条地震が起こり、翌年の文政12年(1829年)、11世住職隆観と弟子法印覚明によって、犠牲者供養のために地震亡霊塔が建立される[2]

明治13年(1880年)5月21日、糸屋万平火事で本堂と庫裏が焼失[1][5]

地震亡霊塔

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地震亡霊塔。三条地震(1828年12月18日)の慰霊塔。
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地震亡霊塔の前にある、「良寛さんの三条地震見舞文碑」の碑文。

文政11年(1828年)12月18日(旧暦11月12日)午前8時頃に三条地震が発生し、現在の三条市域では全半壊家屋3160軒余り、焼失家屋900軒余り、死傷者1040名の被害に見舞われた[6]。この翌年文政12年(1829年)に11世住職隆観と弟子法印覚明によって、犠牲者供養のために地震亡霊塔という五輪塔が建立された[2]

昭和47年(1972年)に市指定文化財平成17年(2005年)5月13日に三条市指定史跡令和4年(2022年)3月29日に自然災害伝承碑に登録されている[3]

また、29世住職隆全が良寛と親交があり[4]、良寛が隆全へ送った書簡が地震亡霊塔の前に三条地震見舞文碑として残されている。以下は、その碑文の元となった書簡(木村家所蔵)の文字起こしと釈文である。

此度三條能大変
承信耳恐入候
御尊體如何被遊候や
寶塔院御住寺如何
被遊候や 三浦屋
如何成候や もし
命有候はゝ宜之く
御傳言御懶上申候
其他一一筆紙ニ
難盡候 此方大ニ
以堂み候へ東も野僧
可草庵ハ無事ニ
御座候 御心安くお保し
めし被下度候
 早々 頓首
 霜月廿一日
寶塔院御隠居様 良寛

良寛、良寛維宝堂 (2005)、188頁による文字起こし。
此度三條の大変、承信に恐入候。御尊体如何被遊候や。宝塔院御住寺、如何被遊候や。三浦屋如何成候や。もし命有候はゞ、宜しく御伝言御懶上申候。其他一一筆紙に難尽候。此方大にいたみ候へども、野僧が草庵は無事に御座候。御心安くおぼしめし被下度候。早々 頓首 霜月廿一日 宝塔院御隠居様 良寛良寛、良寛維宝堂 (2005)、238頁による釈文。

宝塔院幼稚園

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宝塔院幼稚園の園舎。

当寺には私立幼稚園、宝塔院幼稚園が併設されている[7]。三条市では幼稚園の閉園と認定こども園への移行が進み、2025年現在、当園が三条市内に唯一残る幼稚園となっている。

当園は昭和30年(1955年)、36世住職[4]桑原良修によって開園された[8]

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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