トップQs
タイムライン
チャット
視点
富沢清司
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
Remove ads
富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはフルバック(FB)[1]。
Remove ads
人物・来歴
八幡製鉄(現・日本製鉄)サッカー部に所属。19歳にして日本代表に選出された経歴を持ち、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコシティオリンピックに出場。国際Aマッチ通算9試合に出場し、2得点を挙げた。主にストッパーを担当し、1対1の場面における粘り強いディフェンスを得意としていた。
所属クラブ
- 静岡県立藤枝東高等学校
- -1976年 八幡製鉄/新日本製鐵
個人成績
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1965年3月14日 対香港代表戦(香港)
- 日本代表初出場:1963年10月14日 対日本代表B戦(秩父宮ラグビー場)
- 日本代表初得点:1971年9月27日 対フィリピン代表戦(ソウル)
出場大会
- 1964年東京オリンピック(ベスト8)
- メキシコシティオリンピック(銅メダル)
- 1970年アジア競技大会
- ミュンヘンオリンピック予選
試合数
- 国際Aマッチ 9試合 2得点(1965-1971)
出場
得点数
Remove ads
参考文献
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads