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寺村友和

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寺村 友和(てらむら ともかず、1974年4月22日[1] - )は、千葉県千葉市稲毛区出身[1]の元プロ野球選手投手)。台湾での登録名は山崎 友和(やまざき ともかず)であり、山崎は現姓[2]

概要 INVENTIVE41 監督, 基本情報 ...
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来歴

プロ入り前

小学校時代は軟式野球のヤングジャイアンツに所属。中学時代は硬式野球の千葉ジャガーズに所属し、高橋由伸は1年後輩に当たる。

千葉商業高等学校卒業後は本田技研に進み、1996年にチームが第67回都市対抗野球大会で優勝したが、入来祐作や補強の大塚晶文らがいたため、登板機会はなかった。

1997年プロ野球ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けて入団[1]

プロ入り後

プロ入り後は球威はあるものの制球難に苦しみ、サイドスローに転向したもの、大きな結果には繋がらなかった。

2000年オフに山﨑貴弘との交換トレードでヤクルトスワローズへ移籍。移籍1年目に先発や中継ぎとして2勝をマークしリーグ優勝に貢献。チームも日本一になったが日本シリーズの登板はなかった。

2003年に金銭トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍したが、1年で退団。

2005年に台湾・誠泰コブラズに入団した[1]が、開幕してすぐ戦力外通告を受けた。

引退後

引退後は様々な職業につき[1]松永浩美が主催する埼玉県三郷市の野球教室「松永浩美ベースボールアカデミー(M.B.A)」の投手コーチを務め、2011年11月に大東文化大学の野球部のコーチに就任[1]。また、小学生を対象とした野球教室を開校[3]

2015年に創部した社会人野球深谷組硬式野球部の指導に3年間携わったのち、2021年より投手コーチとして再度指導に携わっていたが[4]2022年2月にチームは休部した。

2023年より、埼玉県川越市を拠点とする社会人クラブチームであるINVENTIVE41の監督を務める[2][5]

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人物

イースタン・リーグで1球勝利投手になったことがある。

ロッテ時代の1999年8月31日(対ダイエー戦)で、村松有人の強烈なピッチャー返しを捕球した際にボールがグラブに挟まって取れなくなったため、グラブごとそのまま一塁手初芝清に投げ、打者をアウトにするという好プレーを見せた[1]

ヤクルト時代の2001年8月15日の対横浜ベイスターズ戦(神宮球場)で4-0の時に石井一久に代わって登板、試合を三振で締めくくったが最後の1球で思い切り転倒してしまった。

現役時代に肩痛に悩まされた経験から、整体師の資格も取得しながら8年間の研究の末、肩関節トレーニングの理論を構築し、さらにこの理論を実証するために2年かけてトレーニング器具を開発した。この器具を「KATALOGGY_tr」(カタロギートレーニング)と名付け、2023年現在特許出願中である[2]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

記録

NPB

背番号

  • 16 (1998年 - 2000年)
  • 13 (2001年 - 2002年)
  • 45 (2003年)
  • 99 (2005年)

登録名

  • 寺村 友和 (てらむら ともかず、1998年 - 2003年)
  • 山崎 友和 (やまざき ともかず、2005年)

脚注

関連項目

外部リンク

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