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小原沢重頼

日本の野球選手 (1969-) ウィキペディアから

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小原沢 重頼(こはらざわ しげより、1969年8月9日 - )は、埼玉県三郷市[1]出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 浦和実業学園高等学校硬式野球部 コーチ, 基本情報 ...
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来歴・人物

小学2年の時に野球を始め、中学3年の時に投手となる[1]

浦和実業高から、首都大学野球連盟に加盟する城西大学に進学。1年春から登板し、2年の時にリリーフから先発に転向する[1]。大学時代は、伸びのある速球と縦に大きく割れるカーブを武器に1部通算43登板20勝8敗[1]、通算防御率1.80の成績を残した。3年次の秋には5勝1敗、防御率0.68の成績をマークし最優秀投手賞とベストナインを獲得している[1]。4年夏には全日本メンバーにも選ばれた[1]

1991年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから2位指名を受け入団[1]

1992年4月8日阪神タイガース戦(東京ドーム)でプロ初登板し、4月21日ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)でプロ初勝利を挙げる。しかし、その後は故障や不振(特に与四球率6.90という制球難)による低迷や選手層の厚さで一軍登板が遠のき、1995年から背番号も15から62に変更される。同年は3年ぶりに一軍に昇格し17試合登板し8月31日中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)では3年ぶりの先発も務めた。

1996年は中継ぎで22試合に登板し、自己最高の2勝(4敗)を挙げたが四球の多さは改善できず。1998年から榎康弘との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍[1]。巨人では投手層の厚さに泣き、ロッテでは先発投手として期待されたが[2]、オープン戦で肩を痛め一軍未登板で同年オフに現役を引退[1]

引退後の1999年から2003年まで妻の実家が経営する株式会社夢やに勤めた[1]。小売店のフランチャイズ事業を運営、堅実な会社員生活を送っていることが報じられた。

2004年から2006年は大学時代の同僚が監督を務める明星大学野球部で投手コーチを務めた。2007年には社会人野球ジャパンエクスプレス監督に就任するも、経営陣が刷新され活動がないまま廃部となる。再び明星大学野球部コーチを務め、2010年からは城西大学野球部の監督に就任[3]2019年秋季より監督を退き、スカウティング等を担当することになった。

2020年4月より、母校の浦和実業学園高校野球部の投手コーチに就任。2022年秋より、同校野球部監督に就任[4]し一年間指揮を執った後、2023年秋より再び同校野球部コーチ[5]

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詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 15(1992年 - 1994年)
  • 62(1995年 - 1997年)
  • 30(1998年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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