トップQs
タイムライン
チャット
視点
榎康弘
ウィキペディアから
Remove ads
榎 康弘(えのき やすひろ、1972年5月22日 - )は、埼玉県越谷市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
Remove ads
来歴・人物
東海大甲府高では、2年次の秋からエースとなる。関東大会で準優勝し、1990年春の選抜に出場。ベスト4で優勝校である近大附高に延長13回サヨナラ負けを喫する[1]。夏は山梨県大会決勝で甲府工業高に敗れた[1]。
1990年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団[1]。
ノーラン・ライアンばりのフォームからの速球とスライダーが特徴だった。
1991年から一軍登板を果たす。
1994年には西武から4勝を記録するなど7勝をあげる。
1995年は開幕ローテーションに入り初登板初勝利を記録したがその後三連敗となり二軍落ち、その後1A・バイセイリア・オークスに野球留学したためそのままシーズンを終える形になった。留学の成果は実らず翌年以降は低迷が続く。
1997年10月小原沢重頼との交換トレードで巨人に移籍[1]。ファームでは主力投手として活躍するも、当時の投手陣の厚さから2年間で1勝のみに終わる。
1999年10月に自由契約となりテスト入団を経てロッテに復帰も、活躍はなくそのまま引退[1]。
2007年までは同チームの打撃投手兼広報として、2008年以降は広報担当一本でチームを支えていた。2017年12月よりスカウトに転任した[2]。アマチーフスカウトを経て、2022年1月にスカウト部長に就任した[3]。
広報ではマッチデープログラムでコラム『エノキボンバWAY』(“イノキ、ボンバイエ”をもじったもの)を執筆。現役時代の登場曲は『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』だった。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1991年4月17日、対福岡ダイエーホークス2回戦(平和台球場)、6回裏1死に2番手として救援登板、1回無失点
- 初奪三振:1991年4月21日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(宮城球場)、2回裏に藤井康雄から
- 初先発:1991年6月27日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、2/3回1失点
- 初勝利・初先発勝利:1994年5月22日、対西武ライオンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、5回2/3を3失点(自責点2)
- 初完投勝利:1994年10月9日、対西武ライオンズ25回戦(千葉マリンスタジアム)、9回1失点
背番号
- 69 (1991年 - 1994年)
- 16 (1995年 - 1997年)
- 51 (1998年 - 1999年)
- 29 (2000年)
- 110 (2001年 - 2011年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads