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小坂忠士
日本の騎手 ウィキペディアから
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小坂 忠士(こさか ただし、1983年2月7日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンターに所属の騎手。
来歴
1998年、JRA競馬学校騎手課程に第17期生として入学する。同期の騎手には川島信二、大庭和弥、田中亮、平沢健治らがいる。
2001年、JRA競馬学校騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。デビュー時の所属は境直行厩舎だった(兄弟子は石橋守、藤田伸二、荻野要。ただし小坂と同時に所属したことはない)。3月3日、初騎乗となった阪神4レースでは、1番人気だったキクノプロスパに騎乗して2着となったが、同日第7レースで騎乗した2番人気のブリッジシャトーで勝利しわずか2戦目でJRA初勝利を挙げる。3月6日には地方競馬に初騎乗。6月23日に障害レース初騎乗、7月21日に障害レース初勝利を挙げ、8月18日に新潟ジャンプステークスで重賞初騎乗。6着となった。
2002年、愛知杯にナムラサンクスで平地重賞初騎乗(4着)。
2003年、阪神スプリングジャンプをカネトシガバナーで制し重賞初勝利、同馬にて障害GI中山グランドジャンプにも初騎乗を果たす。
2006年からはコウエイトライとのコンビで活躍し、当馬とは阪神ジャンプステークス4勝を含む重賞7つを制した。
2007年は12勝を挙げ、優秀障害騎手賞2位となる。
2011年2月26日、阪神第4レースでマルイチシンゲキに騎乗し1着、JRA通算100勝を達成した[2]。
2022年6月25日、東京ジャンプステークスでテーオーソクラテスに騎乗して、史上17人目のJRA障害競走通算1000回騎乗を達成した[3]。
2024年3月23日、阪神4R障害4歳上未勝利でメルテミアに騎乗して1着となり、史上31人目、現役7人目のJRA障害通算100勝を障害1047戦目で達成した[4]。
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エピソード
- 地元に愛知県競馬組合の井上哲調教師の実家(たつの市新宮町)が近くにある。
おもな騎乗馬
- カネトシガバナー(2003年阪神スプリングジャンプ) [5]
- スプリングゲント(2006年京都ジャンプステークス、京都ハイジャンプ) [6]
- コウエイトライ(2006年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、東京オータムジャンプ、2007年小倉サマージャンプ、阪神ジャンプステークス、2008年阪神ジャンプステークス、2010年阪神ジャンプステークス)[7]
- トーワヒヨシマル(2009年阪神スプリングジャンプ)[8]
- バアゼルリバー(2012年阪神スプリングジャンプ)[9]
- テーオーソクラテス(2023年小倉サマージャンプ)[10]
騎乗成績
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出典
関連項目
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