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石橋守
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石橋 守(いしばし まもる、1966年10月23日 - )は、日本中央競馬会(JRA)所属の調教師、元騎手。
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来歴
騎手
1966年10月23日、福岡県にて出生[注 1][1]。父・守義は上田武司厩舎の厩務員で、一家は栗東トレセン設立に伴い1970年秋より滋賀県に移り住む[1][2]。父は特に騎手になれと言うこともなく、体の弱い石橋に水泳をすすめた[2]。水泳では県大会へ行くほどの成果をあげるが、石橋は自然と騎手を志すようになっていった[1][2]。
1985年、同期の柴田善臣や須貝尚介らと共に競馬学校を卒業[3]。境直行厩舎の所属騎手としてデビューし、初騎乗を初勝利で飾る[2]。1992年にミスタースペインで京阪杯を制し初重賞勝利。ライブリマウントとのコンビでは1995年のフェブラリーステークス(当時GII)、帝王賞等を7連勝。第1回ドバイワールドカップにも遠征している[4][5]。中央でのGI初勝利はデビューから22年目の2006年のことで、メイショウサムソンとのコンビで皐月賞、東京優駿のクラシック二冠を勝利[注 2][2][4]。同馬とのコンビで翌2007年の天皇賞(春)も勝利した[2]。
このほか、海外ではドバイ遠征の直前にバーレーンで騎乗[4]。2009年にはマカオジョッキーシリーズに出場し、最終戦のオータムトロフィー(マカオG3)を6番人気のGolden Pistolsで優勝した[6]。
- 騎手時代(2010年)
- 引退式(2013年)
- 胴上げされる石橋
調教師
2012年12月、2回目の挑戦で調教師試験に合格し、翌2013年2月に引退[7][8]。河内洋の下で技術調教師として働いたのち、2014年3月1日付で厩舎を開業した[8][9]。開業時の厩舎スタッフには小原義之や芹沢純一(いずれも調教専門の調教助手)がいる[10]。また2022年には騎手の角田大河が所属している。
2021年9月25日に中京9Rで勝利しJRA通算100勝を達成[11]。
2024年3月23日、管理するメイショウタバルが毎日杯を制し、開業11年目、重賞はのべ38頭目の出走で待望のJRA重賞初制覇を飾った[12]。なお、メイショウタバルの母メイショウツバクロは、石橋が騎手時代に最後の勝利を挙げた馬である[13]。
2025年6月15日、メイショウタバルが宝塚記念を7番人気で逃げ切り勝ちし、調教師としてGI級競走初優勝を果たした[14]。
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表彰歴
- 1985年 関西放送記者クラブ賞(新人賞)[5]
- 1992年 フェアプレー賞[5]
- 2006年 第39回日本プロスポーツ大賞功労賞[15]
騎乗成績

(第73回東京優駿)
主な騎乗馬
- ミスタースペイン(1992年京阪杯、高松宮杯)
- ライブリマウント(1994年ウインターステークス・1995年平安ステークス、フェブラリーステークス、帝王賞、ブリーダーズゴールドカップ、マイルチャンピオンシップ南部杯)
- ゴッドスピード(1996年小倉3歳ステークス、府中3歳ステークス)
- マチカネワラウカド(1998年ウインターステークス・1999年白山大賞典、東海菊花賞)
- ゴウゴウキリシマ(2006年シンザン記念)
- メイショウサムソン(2006年スプリングステークス、皐月賞、東京優駿・2007年産経大阪杯、天皇賞・春)
- メイショウトウコン(2007年平安ステークス)
調教師成績
主な管理馬
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
主な厩舎所属者
脚注
参考文献
関連項目
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