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龍野市
日本の兵庫県にあった市 ウィキペディアから
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龍野市(たつのし)は、兵庫県の南西部に位置した市。西播磨県民局管轄地域であった。
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地理
隣接していた自治体
歴史
『播磨国風土記』によれば、龍野の由来は「『野見宿禰がこの地で没し、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだ』という故事から『立野』と呼ばれ、『龍野』に変化した」、とされている。
龍野の地は江戸時代初期、姫路藩池田氏の領地であったが池田利隆の死に伴いこの地に本多政朝が入封、龍野藩が立藩した。以後、諸氏の支配や天領を経て、最終的には脇坂家10代200年の治世の後維新を迎えた。これにより城下町が形成され、龍野藩の城下町となった。現在の市街地にも城下町の町割りが残る。
明治維新における廃藩置県の際には龍野県となり、後に姫路県(のち飾磨県と改称)に併合された。1876年8月に飾磨県が兵庫県に編入されて以降は兵庫県に属していた。
昭和の大合併においては、姫路市のラモート合併に触発されて「西播田園都市構想」が持ち上がり、相生市・龍野町を中心とする10市町村による合併が当初構想されたが、結局立ち消えとなった。龍野町はまず小宅村との合併を成立させ、その後揖西村・揖保村・神岡村・誉田村・半田村・神部村・河内村・越部村の8村に対して合併の申し入れをしたが、相生市からも合併の申し入れを受けていた半田・神部・河内の3村は態度を保留(のち3村で揖保川町を新設)、越部村は住民投票の結果龍野町への合併は否決され新宮町との合併を選び、残る4村が龍野町との合併を決めた[1]。その後も揖保郡内全町村との大合併が構想されたが、市の内容充実をはかるのが先決条件だとされこれも構想に終わった[2]。
沿革
- 1909年(明治42年)1月1日 龍野電気鉄道、龍野町駅ほか開業。
- 1909年(明治42年)2月20日 龍野電気鉄道龍野町駅 - 觜崎駅間開業。
- 1931年(昭和6年)12月23日 国鉄姫津線(現・西日本旅客鉄道姫新線)本竜野駅、東觜崎駅が開業。
- 1934年(昭和9年)12月15日 播電鉄道(旧龍野電気鉄道)線全線廃線。
- 1948年(昭和23年)4月1日 (旧)龍野町・小宅村が合併して(新)龍野町が発足。
- 1951年(昭和26年)4月1日 龍野町・揖西村・揖保村・神岡村・誉田村が合併して龍野市が発足。
- 2003年(平成15年)4月18日 新宮町・揖保川町・御津町・太子町との1市4町で合併協議会を設立。
- 2005年(平成17年)10月1日 新宮町・揖保川町・御津町と合併してたつの市が発足(太子町は脱会)。同日龍野市廃止。
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行政
歴代市長
市政制度移行後の市長[3]
経済
産業
電気
龍野町にあった東洋楽器製造[4]は自家用電力の余剰電力を使用して1908年(明治41年)3月に電気事業の許可を受け1909年(明治42年)8月に龍野町と小宅村の一部に電気供給を開始した。1911年(明治44年)6月に姫路水力電気に電気事業を譲渡した[5][6]。
姉妹都市・提携都市
国内
地域
教育
現在、龍野市立の学校は全てたつの市立となっている。
小学校
いずれの小学校も標準服を着用する。
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中学校
高等学校
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マスメディア
交通
鉄道
道路
名所・旧跡・博物館・祭事・催事
→「たつの市 § 名所・旧跡・博物館・祭事・催事」も参照
旧市街(城下町)
- 龍野町中霞城
- 龍野町下霞城
- 龍野町大手
- 龍野町上川原
- 龍野町下川原
- 龍野町日山
龍野市出身の有名人
脚注
関連項目
外部リンク
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