トップQs
タイムライン
チャット
視点

小槻盛仲

平安時代後期の貴族。三善国信の次男。正五位下・内匠頭 ウィキペディアから

Remove ads

小槻 盛仲(おつき の もりなか、生年不詳 - 保安3年4月5日1122年5月12日))は、平安時代後期の貴族左大史小槻祐俊の養子。実は三善国信の次男。官位正五位下内匠頭

経歴

白河院政期初頭の寛治元年(1087年)ごろ右大史次いで左大史を務め、寛治2年(1088年従五位下叙爵する。

その後、官史を離れるが、算博士を経て、康和5年(1103年小槻祐俊から嫡子の忠兼を差し置いて養子であった盛仲に対して大夫史が譲られる[1]。この際に通常の手続きとは異なって祐俊は辞表を提出しておらず、これをもって小槻氏による大夫史の世襲の始まりともされる[2]

その後、約20年に亘って左大史を務める傍らで、算博士修理右宮城判官内匠頭などを兼ね、長治元年(1104年)従五位上、天永2年(1111年正五位下と昇進した。また、摂政藤原忠実[3]権大納言藤原宗通[4]政所家司も務めた。

保安3年(1122年)正月に実弟の小槻政重に大夫史を譲り[5]、同年4月5日に卒去

官歴

『官史補任』による。

Remove ads

系譜

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads