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岡田展和
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岡田 展和(おかだ ひろかず、1968年1月21日 - )は、広島県三原市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
近大福山高では1年生の時、1983年秋季県大会決勝で先発を任され、本原正治、定詰雅彦のバッテリーを擁する広陵高を降す。中国大会では準決勝で宇部商を完封。決勝は出場なく多々良学園に敗れるが、翌1984年春の選抜への出場を決めた。選抜では1回戦で岩倉高の山口重幸と投げ合うが敗退[2]。岩倉高は同大会で初出場初優勝を成し遂げた。その後はいずれも県予選敗退や不祥事で、甲子園には届かなかった。
1985年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団[1]。1986年からリリーフで一軍初登板を果たす。1987年には初先発を果たすが、なかなか一軍に定着できなかった。1990年には5月から先発陣の一角として起用され、5月27日には近鉄バファローズの野茂英雄と投げ合い初勝利を完封で飾る。
1991年オフに松原靖との交換トレードで読売ジャイアンツ(巨人)に移籍した[1]。巨人移籍後はフォームをサイドスローに変えるとともに中継ぎに転向。1994年には6月終了時点で2勝0敗1S、防御率0.79(34イニングで自責3)という成績を残し、最終的には防御率3点台になったが41試合に登板しリーグ優勝に貢献[1]、同年の古巣・西武との日本シリーズでも第1戦に登板している。その後も140km/h台後半の直球とスライダー・シュートを武器に活躍した。1996年8月7日には、杉山直輝の代走として登場し、サヨナラのホームを踏んでいる。
1999年オフに自由契約となり、横浜ベイスターズにテスト入団にて移籍した。2001年限りで現役を引退した[1]。
引退後は、北海道北広島市のスポーツDEPOに勤務[3]。2012年には札幌学生野球連盟所属の東海大学北海道キャンパスコーチに就任。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 65 (1986年)
- 51 (1987年 - 1991年)
- 13 (1992年 - 1999年)
- 28 (2000年 - 2001年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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