トップQs
タイムライン
チャット
視点
第2回ジャパンフットボールリーグ
1993年に開催されたジャパンフットボールリーグのリーグ戦 ウィキペディアから
Remove ads
第2回ジャパンフットボールリーグは1993年度に開催されたジャパンフットボールリーグ(JFL)のリーグ戦である。優勝は1部がフジタサッカークラブ、2部が本田技研工業サッカー部であった。
概要
今シーズンからJFLに参加するクラブの中から、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が定める基準をクリアしたクラブに対してJリーグ準会員という資格を与えた。準会員にはJリーグカップ、サテライトリーグの出場資格が与えられ、この準会員資格を持ったクラブがJFL1部(J1)で2位以上の成績を収めれば、Jリーグへの参加を認める事になった。こうして実質的にJリーグにクラブを送り出す、下部リーグ(セミプロリーグ)としての性格を強く持つ様になった。
1部(J1)の優勝の行方は中山雅史、吉田光範らの日本代表選手を擁するヤマハFCジュビロ磐田(現ジュビロ磐田)と前年の天皇杯ベスト4のフジタ(現湘南ベルマーレ)に絞られ、最終節の直接対決によって決する状況であったが、フジタは第17節までにヤマハとの得失点差を19に広げており、その優位は動かしがたい状況であった。そして9月5日のヤマハ東山サッカー場で行われた試合の結果、フジタが1-0でヤマハを退け初優勝を成し遂げた。
しかし、これですんなりJ昇格という訳には成らなかった。ヤマハが1991年にプロリーグ参加候補から落選した苦い経験から、全ての問題をクリアにしていたのに対し、フジタはホームスタジアムとして使用している平塚競技場の整備が遅れた事が災いし、昇格は保留され、リーグ戦5位と低迷した柏レイソルが候補として再浮上。新たにナビスコカップの成績も選考材料に加えられる等、昇格争いは混迷を続けたが最終的に11月の理事会によってフジタとヤマハのJ昇格が決定した。
- ※前年度成績=特記なきものは第1回JFL(1992年)のもの
Remove ads
1部
JFL1部はJ1と呼ばれる。
大会概要
- 10チームで2回戦のリーグ戦で行われた。このうち中央防犯サッカー部と京都紫光クラブが前年度のJFL2部からの昇格クラブである。このシーズンから日立製作所サッカー部は組織変更し、日立FC柏レイソルになった。また、ヤマハ発動機サッカー部は「ヤマハFCジュビロ磐田」、フジタサッカークラブは「湘南ベルマーレ」の愛称を用いた。
参加クラブ
Remove ads
年間順位
Jリーグ昇格 |
得点ランキング
表彰
ベスト11
ポジション | 選手名 | 所属クラブ |
GK | 古島清人 | フジタ |
DF | 名良橋晃 | |
名塚善寛 | ||
アルベルト | ヤマハ発動機 | |
MF | 棚田伸 | 日立製作所 |
ベッチーニョ | フジタ | |
エジソン | ||
吉田裕幸 | ヤマハ発動機 | |
FW | ロペス | 日立製作所 |
野口幸司 | フジタ | |
中山雅史 | ヤマハ発動機 | |
2部
JFL2部はJ2と呼ばれる。
大会概要
- 10チームで2回戦のリーグ戦で行われた。このうち本田技研工業サッカー部およびNKKサッカー部は前年度のJFL1部から降格、PJMフューチャーズとトヨタ自動車東富士FCが地域リーグからの昇格である。
参加クラブ
Remove ads
年間順位
入れ替え戦出場 |
自動降格 |
廃部 |
得点ランキング
来季の変動
- J1上位2クラブ(フジタ=湘南と磐田)が1994年のJリーグに昇格を決めたため、1994年(第3回)JFLから、1部リーグ(Jリーグから見て2部に相当)のみに統合される。
- NKKサッカー部およびトヨタ自動車東富士FCが廃部。
- 東邦チタニウムサッカー部が地域リーグ降格
入れ替え戦
参加クラブ
- 敗者復活戦
日本電装 | 0-2 | NEC山形 |
翌年JFL所属 |
表彰
ベスト11
ポジション | 選手名 | 所属クラブ |
GK | 武田亘弘 | 本田技研 |
DF | エデルソン | 川崎製鉄 |
前田浩二 | PJM | |
神田勝利 | NKK | |
ジェルソン | ||
MF | 矢藤敏則 | 本田技研 |
マルシオ | ||
塚野真樹 | ||
森下仁之 | PJM | |
FW | 中三川哲治 | 本田技研 |
崔鐘鎬 | コスモ石油 | |
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads