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川浪吾郎

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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川浪 吾郎(かわなみ ごろう、1991年4月30日 - )は、茨城県つくば市出身のプロサッカー選手Jリーグファジアーノ岡山所属。ポジションはゴールキーパー

概要 川浪 吾郎, 名前 ...
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来歴

サッカーを始めたのは兄の影響。中学校の時から柏レイソルの下部組織で活動し(同期には奥山武宰士など)、2010年からトップチームに昇格[1]。しかし既に菅野孝憲がゴールマウスに君臨しており昇格後は出場機会を得られなかった。

2011年6月13日、出場機会を得るためGK不足に陥っていたFC岐阜に期限付き移籍[2][3]。移籍後は野田恭平村尾龍矢に次ぐ3番手に留まっていたが、野田の負傷をきっかけに第31節・横浜FC戦でプロデビューすると、野田の復帰後もゴールマウスを譲らずにリーグ戦10試合出場した。シーズン終了後に期限付き移籍期間満了となり退団した[4]

2012年より柏レイソルに復帰[5]。第2GKだった桐畑和繁が負傷離脱したが、控えの座には稲田康志が収まったため、ベンチ入りもままならず公式戦での出場機会は得られなかった。

2013年、徳島ヴォルティスに期限付き移籍[6][7]。第3GKとなり公式戦での出場機会はなかったが、J1昇格を経験した。2014年より完全移籍に移行[8][9]。昇格後は、天皇杯Jリーグ杯での先発出場の機会はあったが、長谷川徹松井謙弥の前にリーグ戦での出場は1試合にとどまり、チームも1年でJ2降格となった。

2015年より、アルビレックス新潟に完全移籍[10][11]。 加入後は守田達弥の控えを主に務め、徳島時代と同様にカップ戦ではスタメンに名を連ねた。2017年になると浦和レッズより大谷幸輝が加入したため第3GKに下がったものの、カップ戦では引き続き出場機会を得た。

新潟のJ2降格に伴って、2018年よりベガルタ仙台に完全移籍[12][13]。加入後は関憲太郎シュミット・ダニエルに次ぐ第3GKとなり、シュミット退団後も彼と入れ替わりで入団したヤクブ・スウォビィクがレギュラーに収まったため、リーグ戦では出場機会は得られなかったが、新潟時代に引き続きカップ戦要員としてチームに貢献した。

2021年より、サンフレッチェ広島に完全移籍[14][15]。当時は若手の大迫敬介が台頭しており、2番手もベテランの林卓人が務めていたため3番手の位置付けであったが、2022年はカップ戦に3年ぶりに出場し、ルヴァンカップのプレーオフステージでは2試合にフル出場。プライムステージへの勝ち上がりに貢献した。同年10月8日ヴィッセル神戸戦にて5年ぶりにリーグ戦出場を果たす。その後も林に代わる第2GKとしてベンチ入りを続け、ベンチからピッチへ積極的に声を掛けるなどムードメーカー的な役割を果たした。

2025年6月6日、ファジアーノ岡山に完全移籍で加入した[16]

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所属クラブ

個人成績

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タイトル

クラブ

サンフレッチェ広島

代表歴

  • 2006年 U-15日本代表
  • 2007年 U-16日本代表
  • 2008年 U-17日本代表
  • 2009年 U-18日本代表
  • 2010年 U-19日本代表

脚注

関連項目

外部リンク

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