トップQs
タイムライン
チャット
視点

平山岩彦

ウィキペディアから

Remove ads

平山 岩彦(ひらやま いわひこ、1867年9月22日(慶応3年8月25日[1])- 1942年昭和17年)5月11日[2][3][4])は、明治から昭和前期の政治家実業家衆議院議員

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

肥後国飽田郡、のちの熊本県[2]飽田郡黒髪村託麻郡黒髪村、熊本市[5] 黒髪[3] を経て現:熊本市中央区黒髪)で、熊本藩家老米田家家臣[4]・平山直衛の息子として生まれる[3]。済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)舎監となる[3][4]

佐々友房の指示で李氏朝鮮に渡り、安達謙蔵漢城新報英語版創刊を援助した[3][4]乙未事変に連座して広島監獄(現広島刑務所)に収監されたが三ヶ月で釈放された[3][4]

帰郷して政党活動を始め[3][4]、熊本県会議員、同参事会員を務めた[2][5]守山又三の辞職に伴い1914年(大正3年)6月に実施された第11回衆議院議員総選挙熊本県郡部補欠選挙で当選し[6][7]、以後、第17回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した[2]

その他、肥後農工銀行監査役、菊池軌道取締役、熊本電気取締役などに在任[2][5]。また、1932年(昭和7年)振武館を設立して青少年の育成に尽力した[3]

Remove ads

国政選挙歴

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads