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広州市 (京畿道)

韓国・京畿道の市 ウィキペディアから

広州市 (京畿道)
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広州市(クァンジュし/こうしゅうし)は、大韓民国京畿道の中部にある市である。

概要 位置, 各種表記 ...
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広州市庁

光州広域市とは、漢字表記または長短音[2]では区別できるが、ハングル表記では同じ「광주」となるため、区別のために京畿広州경기광주)と表記することがある。

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沿革

  • 紀元前6年 - 慰礼城(現在のソウル)から西部面春宮里(現在の河南市)に首都を移し、「河南慰礼城」と呼んだ。
  • 370年 - 近肖古王25年まで376年間百済の都。
  • 940年 - 広州に改称[3]
  • 15世紀 - この頃から、官窯広州官窯)がおかれ、白磁の制作が盛んとなる。
  • 1577年 - 広州府に昇格する(次の23面が設置される:慶安、五浦、都尺、実村、草月、退村、草阜、東部、西部、九川、中垈、細村、突馬、楽生、大旺、彦州、旺倫、日用、月谷、北方、松洞、声串、儀谷)。
  • 1752年 - 官窯が分院里に編入。
  • 1789年 - 日用面および松洞面が水原郡に編入。
  • 1883年 - 官窯廃止に伴い、分院里窯が民窯に移管。
  • 1906年(大韓帝国高宗44年)
    • 郡となり、郡庁を中部面山城里に設ける。
    • 北方面・声串面・月谷面が安山郡に、草阜面および東部面八堂里が楊州郡にそれぞれ編入。
  • 1911年
    • 8月29日 - 上笛里に大旺面役場が開設。
    • 年末 - 突馬面が亭子里に役場を開設。
  • 1914年
    • 4月1日[4]
      • 郡内面と細村面の7里中6里の区域をもって、中部面が発足。
      • 細村面下大院里は突馬面に編入。
      • 郡面統合により、広州郡の大部分(儀谷面・旺倫面を除く)と楊平郡南終面を広州郡として編成。郡庁が中部面山城里に設置。広州郡に以下の面が成立。(16面)
        • 慶安面・五浦面・都尺面・実村面・草月面・中部面・突馬面・楽生面・大旺面・彦州面・中垈面・九川面・西部面・東部面・南終面・退村面
1914年と現在の行政区画の比較
さらに見る 1914年, 現在 ...
      • 儀谷面および旺倫面を儀旺面に統合して水原郡に移管。
    • 9月4日 - 京畿道告示第46号に道内各面の事務所の位置を通知したが彦州面役場所在地は廉谷洞、大旺面は塊下洞に所在。
  • 1938年1月1日 - 慶安面が広州面に改称。[7](16面)
  • 1963年1月1日 - 九川面・彦州面・中垈面および大旺面の一部がソウル特別市城東区に編入。(13面)
  • 1973年7月1日(10面)
    • 京畿道城南出張所(大旺面・楽生面・突馬面および中部面の一部を管轄)が城南市に昇格・分離。
    • 五浦面木里が広州面に編入。
    • 都尺面三里・草月面新垈里が実村面に編入。
    • 草月面の一部(上樊川里・下樊川里)が中部面に編入。
    • 退村面の一部(金沙里・二石里・三成里)が南終面に編入。
  • 1979年5月1日 - 広州面が広州邑に昇格。(1邑9面)
  • 1980年12月1日 - 東部面が東部邑に昇格。(2邑8面)
  • 1989年1月1日 - 東部邑・西部面および中部面上山谷里が合併して河南市が発足し、郡より離脱。(1邑7面)
  • 2001年3月21日 - 広州郡が広州市に昇格。[8](1邑6面)
    • 広州邑を廃止し、3つの行政洞に分割。
    • 五浦面が五浦邑に昇格。
  • 2004年6月21日(3邑4面)[9]
    • 草月面が草月邑に昇格。
    • 実村面が実村邑に昇格。
  • 2011年6月21日 - 実村邑が昆池岩邑に改称。[10](3邑4面)
  • 2015年10月16日 - 中部面が南漢山城面に改称。[11](3邑4面)
  • 2022年9月1日 - 五浦邑を廃止し、4つの行政洞に分割。[12](2邑4面)
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行政

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行政区域図

行政区域

さらに見る 行政洞・邑・面, 法定洞・法定里 ...

警察

消防

  • 広州消防署(草月邑にある)
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交通

バス

鉄道

高速道路

国道

出身者

脚注

外部リンク

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