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廣嶋禎数
日本のサッカー審判員 ウィキペディアから
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廣嶋 禎数(ひろしま よしかず、1962年5月22日 - )は、大阪府大阪市出身の元サッカー審判員。日本サッカー協会 (JFA) トップレフェリーインストラクター[1]。
経歴
小学5年生のころからサッカーを始め、大阪府立藤井寺高等学校進学後に本格的にサッカーに取り組む(ポジションはMF)[2]。その後大阪体育大学に進むが、選手としてではなく関西学生サッカー連盟の幹事長を務める[1]など、学連での活動が主となった。並行して審判資格の取得を始め、大学2年・20歳の時に4級審判員の資格を取得。大学卒業後は大阪府立高校の保健体育科教諭となり、西浦高校、平野高校、長野高校で教鞭を執る。
1990年に1級審判員資格取得。1993年のJリーグ発足と同時に副審を務める。1994年にはJFAの申請により国際サッカー連盟(FIFA)に国際審判員(副審)として登録され、国内外の主要な大会で副審を務める。
2006年にはワールドカップ・ドイツ大会で日本人5人目(副審としては初)のW杯審判に選出される。同大会では主審の上川徹、副審の金大英(キム・デヨン、韓国)とグループを組み、グループリーグのポーランド対エクアドル戦と、イングランド対トリニダード・トバゴ戦で副審を務めた。さらに、日本人審判としては初めて3位決定戦・ドイツ対ポルトガル戦の副審も務めた。なお、当時は国際審判員に45歳定年制が導入されていたため、ワールドカップでの審判はこれが最初で最後であった。
2008年シーズンをもって審判活動から引退し、2009年からはJFAトップレフェリーインストラクター(主に副審を担当)として後進の指導に当たっている[3]。
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エピソード
受賞歴
決勝担当
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関連項目
脚注
外部リンク
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