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意宇郡
日本の島根県(出雲国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は以下の地域にあたる。
歴史
要約
視点
古代
大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、律令制の施行により制定されたと考えられる。郡名の由来について『出雲国風土記』が伝えるところによれば、「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」が国引きの大仕事を終えた際に「国引きを意恵(「おえ」、終わるの意味)」と言ったことから「意恵郡」のち「意宇郡」と呼ぶようになったという。
熊野坐神社(熊野大社)の所在地として重んじられ、文武天皇2年(698年)3月9日には近親者の連任を許す詔が下されている[注釈 1]。一般に郡(評)[注釈 2]を治める郡司(評司)に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、意宇郡では神社を代々まつってきた出雲氏が重視されたものである。
郡家は山代郷にあった。
郷里
天平5年(733年)2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には11の郷の内に33の里があり、別に1つの餘戸里、3つの駅家と3つの神戸があったと記され、以下の記載がある[注釈 3]。11の郷にはそれぞれ3つの里があった。
- 母理郷※ –現在の安来市伯太町東母里、西母里から南部の地域。 神亀3年(726年)「文理」から改字。
- 屋代郷※ – 現在の安来市伯太町北部、吉佐町、門生町付近の地域。神亀3年(726年)「社」から改字。
- 楯縫郷※ – 現在の安来市宇賀荘町、清瀬町、清井町、九重町、清水町、早田町付近の地域。
- 安来郷※ – 現在の安来市安来町から島田町西半を中心とした付近の地域。
- 山國郷※ – 現在の安来市下吉田町・上吉田町を中心とした付近の地域。
- 飯梨郷※ – 現在の安来市西南部付近の地域と広瀬町のほぼ全域。神亀3年(726年)「飯成」から改字。
- 舎人郷※ – 現在の安来市沢町、野方町を中心とした付近の地域。
- 大草郷 – 現在の松江市大庭町、佐草町、日吉町辺り。
- 山代郷 – 現在の松江市南東部辺り。
- 拝志郷 – 。現在の松江市玉湯町林、玉湯町大谷、宍道町上来待辺り。神亀3年(726年)「林」から改字。
- 宍道郷 – 現在の松江市宍道町の大部分。
- 餘戸里 – 現在の松江市東出雲町の大半。
- 野城驛※
- 黒田驛
- 宍道驛
- 出雲神戸 – 現在の松江市八雲町辺り。
- 賀茂神戸※ – 現在の安来市大塚町付近の地域。
- 忌部神戸 – 現在の松江市玉湯町の大部分。
- 野城駅家※ [注釈 4]
- 黒田駅家[注釈 4]
- 穴道駅家[注釈 4]
[出典[2]]
式内社
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[注釈 5]。(1町48村1浦)

- 明治4年
- 明治8年(1875年)9月5日[3] - 面白村が湯町村に合併。(47村1浦)
- 明治12年(1879年)1月12日 - 郡区町村編制法の島根県での施行により行政区画としての意宇郡が発足。「島根秋鹿意宇郡役所」が島根郡松江城下に設置され、同郡および秋鹿郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記がない限り、全域が現・松江市。(16村)
- 竹矢村 ← 矢田村、八幡村、馬潟村、竹矢村
- 出雲郷村 ← 出雲郷村、春日村
- 揖屋村(単独村制)
- 意東村 ← 上意東村(現・松江市)、下意東村(現・松江市、安来市)
- 岩坂村 ← 西岩坂村、東岩坂村、日吉村
- 熊野村(単独村制)
- 大庭村 ← 大庭村、佐草村、山代村、大草村、平原村
- 津田村 ← 西津田村[注釈 15]、東津田村、古志原村、松江分[注釈 16]
- 乃木村 ← 松江分[注釈 17]、乃木村[注釈 15]、福富村、乃白村
- 忌部村 ← 東忌部村、西忌部村
- 玉造村 ← 大谷村、玉造村
- 湯町村 ← 湯町[注釈 18]、湯町村、布志名村、林村
- 来海村 ← 上来海村、東来海村、西来海村
- 宍道村 ← 白石村、宍道町[注釈 19]、宍道村、佐々布村、伊志見村
- 波入村 ← 入江村、波入浦、遅江村
- 二子村 ← 二子村、寺津村、亀尻村、馬渡村、江島村
- 市制の施行により松江城下町[注釈 20]および松江分の一部[注釈 21]、西津田村の一部[注釈 22]、乃木村の一部[注釈 23]と島根郡の一部の区域をもって松江市が発足し、郡より離脱。
- 明治26年(1893年)7月9日 - 来海村が改称して来待村となる。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「島根秋鹿意宇郡役所」の管轄地域をもって八束郡が発足。同日意宇郡廃止。
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意宇六社
意宇郡にある神社のうち下記の六社を「意宇六社」といい、「六社さん」とも呼ばれて崇敬されている。この六社を巡拝する「六社参り」という行事が江戸時代以前より行われている。
脚注
参考文献
関連項目
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